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変わっていく家族の形を思う

変わっていく家族の形を思う。 こども・家族

もう1月も中旬ですよ奥さん。
早い早い。
まじで早い。

ムスコ、
来月には勤務地が決まり
再来月には引っ越しですか・・!

3か月後にはこの家におらんのかぁ~
と思うと
これまでも冗談のように
また、自分の気持ちの防衛かのように

makko
makko

夏服を洗濯するのも最後か・・

とか言うてましたが
いよいよ本当にせまってきた感があって
めっちゃあせります。

ムスコにもっと教えておくべきことはなかったか・・・
ひとりでの生活に困ることはなかったか・・・
一人暮らしを始めるのと同時に
日本で一番ブラックとされる「施工管理」の仕事を始めるわけで
そんな激務で一人暮らしとか
心身ともに疲弊するのではなかろうか・・

いろいろと考えること多いです。

ふとした日常に感じること

ほんとね、
洗濯したり
洗濯ものをたたんだり
というときに、
ああ、これもあと何回か・・
とか

ムスコと食事するたびに
これも人生の中であと何回か・・

なんてことを思ったりするんですが

それがどんどんと現実になってくる感じが
すごくあります。

ムスメとムスコはめっちゃ仲良くて
リビングにいてるときはソファをとりあったり
テレビをみながら
youtubeをみながら
あれこれ話したり
自分の服やさいふを
買おうかどうしようかと悩んだときは
お互いにLINEで相談しあったりしているとか(笑)

つきあってんのかい(笑)

先日も、ムスコがソファにねそべっているところを
ムスメが
自分もソファでねそべりたいからと
ムスコとソファのせもたれの間に入って
じわじわとムスコを押しやり
最後はムスコをソファから転げ落とすという手法に出て(笑)

ムスコ
ムスコ

おかあさーん、助けてや!

またやられる!!!

って言いながらムスコは
ソファから床に転げ落とされていました(笑)

・・なにをしておるオーバー20歳たちよ。

たまに私も参戦して
そんなムスメの上にどっかと乗って
今度はムスメを転げ落とそうとするんですが
ムスメはあらゆる暴力的手段を使って
私やムスコを攻撃するのが常ですから
たいがい殴られ蹴られて(全力)
退散するということになり
ムスメの一人勝ちになるんですけども・・

いったいなにしてんねん。

そんなときにも
ああ、私もさることながら
ムスコ自身も
そしてムスメも

4月からは
そりゃもう寂しくなるよなぁ~って

しみじみ思います。

家にいなくてもふと思う

以前は、そうやって
子どもたちの姿を見たり
洗濯ものや部屋を見たり
そういうときに
ああ~もうすぐか~
と思ったもんですが

最近は、本当になんていうか
自転車に乗って外を走ってるときとか
通勤中の電車の中とか

ふと、
ああ、この日常も
ムスコがいない自分の日常となるんだと
なんだかわからんけどふと感じて

涙が出てきたりします。

この歳になると涙もろくなるわ~!

って誰だったか、
島崎和歌子やったか(といっても5歳年下)言ってましたけど
いや~まじな~それな~。

それとか、
ふと写真フォルダを見て
ムスコとムスメが家で一緒にごろごろしてる写真とか
ふとした日常を撮った写真が目に入って

ちょっと動けなくなったり

そんなことが多くなりました。

一生これが続くのだという思い

不思議なもんで
生活をしていると
ほんま、
この生活が
この毎日が
まぁそれなりに続いていくよね、
と。そんなこと認識もしないくらいに
思い込んでるところってあります。

それはもう、
子どもが生まれて保育所に入って
日々の生活をしていたころからずっと
自分の中に不動のものとしてあったような

子どもが小学生になり
中学生になり
高校生になって
浪人して(笑)
大学に行って・・・

そこで子どもたちは
どんどん成長し
いろんな変化はあったものの
やっぱり

家族全員が家にいる

という基本が
変わらなかったから

私も知らず知らずに
諸行無常だ~(世の中は移り変わるものであり、常に同じものなどない。)
ってことは
頭ではわかっていても
実際には全然わかってなかった、
ってことってあるんだなって

改めて思います。

子どもたちは
自分の思い通りにはいかない。
彼ら自身の人生があり
彼ら自身の人生を自分で選んで生きていく。

子育ての中で
ほんとそれは
がつんと頭を打ちながら
わかってきたつもりで
何でも好きなようにやりやと
自分らしく生きることが一番やから

そう言ってきたわけですが

それもやっぱり
子どもが家を出て独立するというときに

ようやく本当の意味で

好きなように生きや

と言えるものなんだろうなぁと

自分の経験を振り返ってもそう思います。

ムスコも寂しく感じることもあるかもしれないけれど
やっぱりなにか荷物をおろせた感じもきっとあるはずで。

自分が家を出た18歳のときのこと
やっぱり今も鮮明に思い出せます。

自分が寂しいという気持ちよりももっと
自分がいなくなって寂しいだろうなという親の気持ちを考えて
涙が出てしょうがなかった旅立ちのとき。

そうかと思うと、一人暮らししてしばらくは
寂しくて孤独で
毎日壁をみながら一人で食事して
涙が出て、むなしくて
ごはんがあまり食べられず激やせした春のこと。

ホームシックを経て
ようやく新しい生活に慣れたときに初めて

ああ、私は親から離れて自立したんだと
精神的に自立するとはこういうことかと

寂しいのと同時に
怖さとおそろしさを感じながら

でもどこか
軽くなったものもあった。

親の目を気にせず
親の意見を聞くことなく
そして、親がどう感じるかを考えることなく
これからは自分の意志で生きていくんだなぁと。

子どもは親が思っている以上に
ほんまずっとずっと
親のこと思ってるもんですよね。

考えんとこと思っても考えてしまうもんで
やっぱりどこか
親に喜んでほしいとか
親の意向はどうなんだろうとか

しばられてるつもりがなくても
そして親もしばっていなくても
子どもの気持ちの中で
自分でしばってしまっているところがあるっていうか。

きっとムスコにもそれは
もう絶対にあるので

ムスコが少し
気持ちが軽くなり
言葉にならない荷物をおろして
解放された小鳥のように
羽ばたいていくのだろうと思うと

それはそれでよかったと
ちょっと安堵の思いがあったりします。

きっと、自分があの年で
ひとり暮らしをしないとわからんかったやろな~。
とか、いまさらながらに思います。

ま、私とムスコも別人格ですから
ムスコが同じように感じるかはわかりませんけどね。

親としても
寂しいしおセンチになるけれど(笑)

それでもどこか
おお、わが子よ
広い空に羽ばたいていけよと
私自身もなにかの荷物をおろすことになるのかもしれません。

親子って本当に不思議なつながりですね~
どんだけいろんなことがあっても
全部初体験な思いがあふれてきて
ほんと、
親にしてもらって
シアワセな人生だったよな、私、
とかって思います。

そんな春を待つ1月。
いうてる間やろな~やってくる春は。


コメント

  1. とても深く考えさせられました。

    >親がどう感じるかを考えることなく
    これからは自分の意志で生きていくんだなぁと。

    この部分、非常に強く刺さりましたね。

    私は子どもたちと一緒に暮らしています。
    親を重荷として考える思いが、ないはずがありません。
    母子ともに、そこに蓋をしながらの生活ということなんだなあと、改めて気づきました。

    子どもが巣立つ。
    寂しい気持ち、伝わります。

  2. makko より:

    フレンチクォーターさん
    コメントありがとうございます!
    共感していただき本当にうれしいです。

    母子ともに、そこに蓋をしながらの生活・・
    確かに一緒に住んでいる間ってそうなのかもしれませんね。

    親子の関係や感情って本当に不思議やなって
    誰も教えてもないし、こうあるべきもこうしたいも意識していないのに
    知らぬ間に芽生え育ってきたものがあるんですね。

    それにしても、こんな私の気持ちに共感してもらえたことが
    本当にうれしかったです。
    ひとりじゃないやん!ってすごく思えました。
    ありがとうございます!

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