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親が子に望むことは、笑うことだけでいい。

親が子に望むことは、笑うことだけでいい。 こども・家族

なんとなくムスコの子育てを振り返った数日間でしたが
結局、そんなこんなあって
いまだに小学生なムスコですが
なんとなくそれを楽しめるようになりました。

いやもうほんまに心配しましたけどね。

っていうか、行動自体はだいぶ危うい。
いつもギリギリ。

とりあえず警察のお世話になって
就職がだめになるようなことにはならんようにと

よく言われるセリフを私が言うことになろうとは(笑)。

いやまじで。

もう来年は就職するというのに本当に大丈夫やろうか・・・

1、大学生でもいろいろあった。

大学生になってからどうだったかというと
近所の友達とまたつるみだしまして

まぁ小学校からの友達っていうのは
本当にありがたいもんで
お互いによくわかってるから

久しぶりでも集ったら楽しいみたいで

ムスコもなんだかんだいって
こんなムスコのことを理解してくれている友達がたくさんいて
本当に周りに恵まれたなぁ~・・と思います。

大学の友達とも遊んだりっていうのは
全然あったみたいですが
まぁなんせ、
最初はダンス部に入って
その後、設計の授業が大変で
やめてしまいましたからね・・

とはいえ、
なにかしら時間ができたら
友達と
サーフィンだスノボだと
行ったりはしてたんですが

でもやっぱり
建築学科の課題がしんどすぎて

もうほんまにやめたい・・

別に建築士になりたかったわけではなかった・・

こんなことやりたいわけじゃない・・

この授業落としてもう一回来年ってなったら僕は無理

ってそんな発言が多くなりました。

課題をやるとなると家にこもることも多くなって
いつも野球だなんだと外で遊びまわってたムスコが
意外にインドア派みたいになって

クラブもなければ特に趣味もない。

コンビニのバイトと学校以外は
家でゲームをしていたり動画を見たり
外でもぶらぶら遊んだり

せっかくの大学生活
もったいなくないか!!!?
時間がある生活なんて今しかできんのに!

海外でバックパッカー旅したりとか
日本横断でもええやんか
もちろん草野球チームに入るのでもいい。

就職のときはそんなところがアピールできるのに
今のムスコにはなんもない・・・

と、本当に心配になりました。

そして設計の授業を1つだけ落としたところで留年
その授業は毎回毎回、出席はもちろん課題も提出していた教科。
徹夜して仕上げていた課題です。

これを落として来年ももう一度、となったら
ぼくは学校やめるかもしれん

と言ってたやつです( 一一)

このときはマジで心配しました。
もはや叱ることはもちろんないし(だって授業も課題も必死でやってたわけやし)
慰める言葉も見つからず
ただただ見守るしかできず

悶々としました。

ただ、

大学を辞めるというなら
なにかやりたいことがあるなら応援する。
そっちの道に行ってもいい。
でも、他にやりたいことがなくて
この道が違うから、しんどいから、って辞めるなら
それはやっぱり、
そうですかと受け入れがたい。
べつに建築の仕事に就かなくてもいいし
どんな仕事をしてもいいけど、
いま勉強していることは必ずなにかの役には立つ。
なにかを専門でやったということは必ず強みになる。

美術の大道具さんだってできるし、
全然違う営業の仕事についたとしても
建築の知識があるところから話が広がることもあるし
仕事がとれることもある。

だから、まず、この勉強は最後までやって
それから他の道に行きたいなら考えて行けばいい。

みたいな話をしたことを覚えています。

ただ、親の言うことを聞くような年齢ではありませんし

本当にしんどくてたまらなかったとしたら
他の道を行くほうが正解ということもあるかもしれない。

ムスコの人生だからと
それまで口を出さずにきたけど
ここでこの自分の意見を言うことはどうなのか。

なんてことをいろいろ考えて
葛藤しながら
押しつけにならないようにと思いながら
話しました。

結局ムスコは留年しても学校を続けることになりましたが
まわりで辞める子も何人かいたようでした。

2、そしていまのムスコ(大学5年生)

そんなこんなで
次の年にもう一度、あの大変な大変な設計の授業をもう一度受けて
また毎回のように徹夜をして課題を仕上げ
来る日も来る日も課題のことを考え続け

次の年にようやく単位がとれました。

いやほんまにね。

こんだけ一生懸命やった教科を
たったひとつ落としただけで留年って
まじで大学ってキビシイ。

いや、ムスコの通う大学ってキビシイ。が正しい(笑)。
なんせ関西イチ、留年率が高いそうですから。
4年卒業率68%ですから。(しつこい(笑))

結局、ムスコは、
あんだけ

ムスコ
ムスコ

建築士になりたいわけじゃない!

と言ってたのに、
就職はそちら方面を受けることにして
どうにかこうにか就職が決まったんでした。

私的には、そっちにいくとは思ってなかったんで

makko
makko

吉本興業とかどう?

makko
makko

テレビ番組の美術さん、大道具さんはどう?

などと言うておったんですが、

ムスコは、この道を行くと決めたようでした。

結局留年したことがよかったんですね。
まわりの友達が、さっさと建築関係の就職が決まって
それもみなさんかなりの大手が多くて
自分の大学の就職の強さを目の当たりにして

やっぱり自分も
せっかく勉強してきたしそっちにいこう、
と思ったんでしょう。

この大学で、勉強もしていないほかの道にいこうとしても
有名大学でもないから、絶対難しいしな!

というのもあったみたいです。

まぁ確かにそうかもしれん。

でも結局、
どうしても入りたいなぁ・・・
と言っていた会社に内々定をもらって

なんとか落ち着いて5年生になれた(笑)
ってところです。

ほんまに子育てって

どこでどうなるかわかりません。

うまくいかんしどうしよう、と
本当にいばらの道やな、と
思っていても、

どこでどう変わるかもわからんってことですよね。

3、「子育て」はどこまでかわからないけれど

「子育て」と称されるものはどこまでかわからず
もうとっくに終わっているともいえる気もしますが

しかしながら子どものことを
心配したり
動向を見守ったり

まだまだいろんなことがあるのだろうなぁ~・・・
と思います。

思い返せば自分も
働いてからは親とぐっと距離ができた気がしますが
その後も、いろんな人生の節目で
親に話して心配されたり
喜ばれたり
いろんなことがあって

ああ、子どもとの関係って

当たり前やけど、死ぬまで続くんやなぁって

本当に当たり前やけどそんなことを思うことがあります。

なにが正解ってないし
人生なにが成功ってないなと思うし

長く生きてきたことでそれは本当にそう思うようになったけれど
親の願うのはただひとつ。

笑顔の多い人生であってほしい。
笑顔でいられる瞬間がひとつでも多い人生でありますようにと。

それは本当にそう思います。

自分らしく生きてほしいとか
挫折したら立ち直ってほしいとか
言い出したらいろいろあるけれど

父を看取ってもらってた先生がおっしゃっていた

にもかかわらず笑う

を絶対覚えていてほしいな~。

どんなどん底でも「にもかかわらず笑う」ことがある。
どんな状況下でもなんでもない、ふと笑えることって絶対あって
そんな小さいことが人生を救うこともある。

ムスコの子育てはいろいろあったけれど
結局私も、
折に触れてムスコに笑わせてもらってきたなぁと

今となってはそう思います。

これからは、
おかんを思い出すだけでふっと笑ってしまう。

そんな存在でいられたらいいのかもしれません。
一つ目標できたやんか(笑)。ね。

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