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それにしたってやっぱり子育ては。(中学から浪人編)

それにしたってやっぱり子育ては。(中学から浪人編) こども・家族

ムスコの子育てを思いだすと
ほんまにまぁ~
どんどんいろんな出来事を思い出します。

これだけすぐに忘れる私がどうしたことよ(笑)。

でも本当に、
ムスコの行動は
びっくりすることが多すぎて
想定外ばっかりで

けど、小学校のときの先生との出会い以降は、

おもろいなぁこの子は。

と思えることが多くなったように思います。

1、とはいえ中学校でも

とはいえ。

中学校はまた別です。
中学生は難しいお年頃。

こりゃもう本当に悪いことやりましたよ~
もうそれは友達にも話せないし
もちろんブログにも書けないし

いろんなことがありました・・・・( 一一)

占いや
「みえる」ひとにみてもらったり
わらをもすがる思いでした。
スクールカウンセラーの先生に話を聞いてもらったこともあます。

でもあのころ、結局は
「みえる」と言われていた占いをする方の言葉が
なるほど~と思えて腑に落ちたような。
救われたように記憶しています。

バカ高い占いとかではないですよ!
電話で、1回2000円くらいの相談料で。
(この方は、ムスメのこともよく相談しましたが、
ムスメの入る高校までぴたりと当てて
中3の夏休みの段階で「おめでとうございます!」
って言われました(笑))
そこで、ムスコの今の状況を
説明してもらい、
それはすごく納得しましたね~

でもやっぱり

いつかは落ち着くもんです。そういうやつは。

中3になったら
あれ、なんだったんだっけ?
と思うほどには落ち着きました。

落ち着きましたといっても
なんもなかったわけちゃいますよ。

一度懇談で、先生から注意されたことがありました・・・

中学になっても注意ってどうよ。

どうやら、昼休みに、水着でサッカーをしていたらしく(上半身裸)
女子たちが大騒ぎをして先生のところに言いに来たと・・

先生も見てびっくりしたと・・・
ほとんど裸でサッカーしているようなもんだったと。
ムスコともう一人の友達と2人。

で、ムスコを呼んで注意したそうです。

先生
先生

おまえらな!
この中学は外からも見えるやろ。
外の人が見て苦情がくることもあるかもしれん。
まだ学校の中やからいいけど、これ(裸で走り回る)を外でやったら

通報されることもあるんやぞ!

と注意したそうですが、
ムスコたちはどうやら腑に落ちない顔をしていたと・・・

ムスコに聞いたところ

ムスコ
ムスコ

いやだってなお母さん。

5時間目は体育でプールやってん。

だから、先に着替えてから遊んだってだけの話やん。

プールは遅れたらめっちゃ怒られるからな。

怒られんように先に着替えただけやから

ほめられこそすれ、何故叱られるのかよくわからん。

とのことでした・・・・・

キミの言うのもわかるがしかし。

懇談に行ったときに、先生より前に
ムスコの友達の女子たちから

ムスコの友達
ムスコの友達

おばちゃん!ムスコくんな!裸でサッカーしててな!

もう大騒ぎやったで!

と訴えられた母の恥ずかしさよ・・・!!!

とまぁ相変わらず
学校に行くとテンションがあがる。
はしゃぎまくる。

は、小学校時代から変わらないようでした。

2、そして落ち着くと言われた高校時代

そんな子も高校では落ち着く。
大丈夫!きっと落ち着く!
ってママ友たちから何度も言われてきたけれど

どうしてどうして!!!

ムスコの行った高校は
私服の超自由な公立高校。
この地区では一番のパリピ高校とも言われるほどに
誰もが口をそろえて
「自由!」
「めちゃ楽しい高校!」

と言われる高校でした。
(マスコミ系にこの高校出身が多いと言われるのもうなづけます(笑))

今から思うと、
自由奔放なムスコに本当に合っている高校だったなぁ〜
とつくづく思います。
いまだに
「高校時代が一番楽しかった」
と言うムスコです。

そりゃそうでしょう。本当に。
楽しかったにちがいない。

中学までは、それなりに勉強もしていたムスコでしたが
高校で完全に遊びまくりまして
まったく勉強しなくなってしまいました・・・・・!

ここで私の大きな葛藤があって
ずいぶん自分が変わったのを覚えています。
このころは、小学校のころとちがって
「勉強しないわが子」
「自分の高校時代とは全然違う生活を送っているわが子」
に対して、
どうしてこんなことになってしまったのかと
本当に悩んで
本当にどうしようかと
毎日毎日暗い顔、
携帯の規則を作ったり
そしてムスコもそれに反発し
部屋の壁には大きな穴があきました( 一一)

これを信頼している鍼の先生に相談したらば
先生、即座に

「お母さんは、親の言うことを聞いて
レールに乗ってきて
それで今振り返ると、よかった、と感謝しているかもしれんけど
ムスコは違うからね。
あんたの子は別人格。

同じようにはならんよ。
そして思い通りにはならんよ。
別の人間やから。
それを自覚しないと。

これから、ムスコには、
小言は一切言わない。
何も言わない。
ほめる言葉しか言わない。

それを心掛けて3年過ごしてな。」

と言われまして
まさに目からうろこ。

はっ!!!!!!
そうか!!!!

別人格か!

私の思い通りにはならんのか!
やっぱり思い通りにしたいと思っとったんか私!

と、これが本当に人生の中の大きな気づきの瞬間でした。

そこから、ムスコを
手放しました。
私の虚像を手放した、というのでしょうか。

学歴主義でやってきた自分を
有名大学に行くのをよしとする自分を
そして子供にもそれを望んでいた自分を
手放して

ムスコはムスコの道をゆく

それを信じよう

と思った時期でした。

まだまだ全然とらわれることの多いワタシですが
このころはもっともっともっともっとひどかったんです。
いやほんまに。
ここでまた私自身が小学校のころとは別の意味で
大きな転機として
気持ちの持ち方を変えることができました。

そこから、ムスコのやることを
なんとなくおもしろがって見られるようになりました(笑)
アホやん!ってことばっかりですけど。

髪を茶色に染めたムスコが
黒髪にもどしていないと授業中めっちゃあてられるからと
(髪を染めた子どもたちを叱るのでなく、こういう罰則?を選ぶ高校は最高でした。)
でも黒髪にもどしている時間はないからと
茶髪も濡れたときは黒く見えるからと
雨の中、傘をささずに濡れたまま学校に行って
髪の毛が濡れた状態のままで授業を受けたムスコ
(アホです(笑))

友達と自転車の3人乗りをしてどこまでいけるかやってみよう!
と、
3人で自転車に乗ってみたら
バランスがうまくとれず
自転車が壁に激突したかなんかで
めちゃくちゃな状態に壊れてしまったこと
友達の自転車は買い替えるしかなくなり
他の2人も一緒に弁償したこと
(アホです(笑))

陸上部の仲間たちと
試合が朝早すぎて起きれないかもしれないからと
(理由はそれだけだったか不明)
夜中に集合して
淀川沿いの野球ネットの上でみんなで野宿したこと
そこで夜中に野犬に追われたこと
朝になって目が覚めると
野球ネットを使う小学生たちが
びっくりして覗き込んでいたこと
その後、顧問の先生にこっぴどく叱られたこと
(アホです(笑))

花火をしにいく!
と出て行って、
実はロケット花火戦争という
ロケット花火を投げ合う遊びをしていて
警察がかけつけて注意され
でもその警察官と仲良くなっていたこと
(おそらく一度ではない)
(アホです(笑))

だれですか?
高校になったら落ち着くと言ったのは。

教えてほしい。

でも、そんな高校時代、
やっぱり今となっては
宝石のような思い出ばかりのようで

あのときの思い出が
彼の支えになっていることは
今の彼を見ていてよくわかります。

3、浪人時代も変わりませんが

そしてその後、大学受験にはことごとく失敗し
浪人生活をすることになったムスコ。

高校時代にあんだけ遊んでいたら
大学に行くことは絶対無理やろうと
それはわかっていたので、
実際に浪人が決まったときは
落ち込みはしましたが
そこまでのダメージがあったかどうか・・

もうあまり覚えていません。

ムスコが通った予備校には
小学校の時の同級生が何人かいて
いつも3人もしくは4人で一緒にいて
家も近かったので
帰りはいつも一緒で

めっちゃ遅いってやつね(笑)
なにかしら遊びながら帰ってきていたんでしょう。

ムスメは夏くらいまで
予備校で友達ができなかったので
おれを思うと、ムスコは恵まれていたのかもしれません。

そのときの予備校仲間は
いまだに仲が良くて
サーフィンに行ったりスノボに行ったり

小学校のころから知っているので
お母さんもよく知ってるし
本当にありがたいなと思います。

きっとなんでも話せる友達であることも確かだし
ふたりともなんやかんやあって
まだ大学4年生やけど(笑)。

いや、ムスコは留年やけど、友達は留学ですからね。
全然ちゃいますが(笑)。

と、ここまで思い返してみると、
本当にムスコの子育てはいろいろありすぎて

私はもう学ぶことしかなかった。

本当にそれにつきます。
自分の価値観の中で生きてきて
ことごとくそこからはみでていたムスコ。

いまだにびっくりすることがありますけども
いまはもう笑えることのほうが多い。

こんなムスコが
家を出ていくと思うと
やっぱ寂しい限りです。(結局この話になる(笑))

子どもは親とは別人格。
違う人生を歩んでいるのだということ。
そしてそれはかけがえのない
彼だけの一生なのだということ。

そこに誰が何の口出しができましょう。

いろんな経験を経て
母はムスコのいち応援団員となるんです。
これまでも今もこれからも。

いろいろ振り返るとそんなことを思います。

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