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感情ってどこからきてる?

感情ってどこからきてる? 出会った人

日経テレ東大学、知ってます?

そう。最近よく出てる成田先生とひろゆきのRe:Hack とか配信してる
youtubeチャンネル。

じわじわと人気を集めて
なかなかバズっているようですけど

けっこうおもしろくて見ています。

で!

最近の大ヒット!

先日、なにげにあがってきて見たのが
ハーバード大学の助教授、脳科学者の内田舞さんです!

この動画がまじでおもしろい!!

【成田悠輔のライバル?】ハーバード大学・天才精神科医のメンタル改善法【必殺!「再評価」とは?】

いくつか動画はあがってますが
どれもおもしろいです。

とってもキレイな人やしね
聡明で、かといって難しい言葉を使わず話をするっていう
本当に素敵な女性です。

そもそも、お医者様で研究者でいらっしゃるのですけど
コロナワクチンについて、めっちゃ発信してはります。

科学的な根拠をもとに、
コロナワクチン接種推奨。

特に、ご自身が妊婦だったときのコロナワクチンについて
かなり調べられて、
問題がないこと、また、打たないリスクのほうが大きいことを
きちんと調べて実証され
ご自身も妊婦の間にワクチン接種をされたそうです。

私はワクチン疑問視派だし、
科学で実証されたとて、「絶対」はないと思っているので
それを聞いたとしても推奨派にはならんのですが
ただ、なるほどなと思うことはめっちゃありました。

それは日本のマスコミの在り方。

ワクチンについてのインタビューを受けるので話をするけれど
結局、日本のテレビは
スタジオに一般の人やタレントを呼んでいる。
その人たちがワクチンに対する不安を持っていた李する。
そして、また、ワクチンにより問題が起こっているという意見を持つ医師が
1人だけ出ていたりする。

そこで、ワクチンは「不安だ」という理論が繰り広げられ
「ワクチンは危ない。」といくつかの事例を示して1人の医師が言っていたりする。

それが

Why?Japanese people?
だと言う。

政治について語るのであれば、
いろんな人の意見が必要で
それが世論を作っているのだから
不安だという声や、安心しているという声や
いろんな声がある、という話を
テレビがするのはわかる。

でも、「科学」については
不安だとか心配だとか
そういうところの議論は不要

科学的にどういう実証がされて
どういう事実があり
それに基づいてこういう結果がある、

ということを示すことだけが必要なのではないか。
それがマスコミの役目なのではないか。

というんですね。

政治の話だと
「あの政治方針は不安だ」とか
「あの政治家は大丈夫か」とか
国民の意見や気持ちが必要だけれど
科学的根拠については
きちんと実証されたものを
事実として伝える必要があるのでは?
不安だとかそういう声ばかりを報道しているのはおかしいのでは?

っていう意見ね~なるほど。
それはほんまにそうやわね。

先生のような方々が
毎日毎日おもしろくもない地味な実験を(本人談)
続けて結果を出しているわけなので。

もちろん、データで安全性が証明されたとしても
私はそれでもやっぱり本当に「絶対」はないと思ってるから
ワクチン推奨派にはなりませんけど。

ただ、そういう話でなく
この「科学は不安と並べて語るものではない」という彼女の意見は

もっともだし、

その角度からこれを指摘した人はおらんのちゃうかな~
って思いましてね。

めっちゃ面白いと思って、動画いくつかを見ましたよ!

再評価ってなあに

この内田さんが教えてくださった言葉に
「再評価」ってのがあるんです。

自分の感情がどこからきているのか
その出発点がどこからきているのか

確認する作業っていうのがすごく大事なのだそうです。

要は

「感情、考え、行動」っていうのに
我々の行動はすべて基づいているということ。

「感情」が起こったとき、自分のもとになる「考え」があって
だから、その「行動」をしているんだと。

だから、感情が出てきたとき、一度、その元にどんな「考え」があるのか
「再評価」してみようっていう話です。

たとえば、自分(ママ)が仕事から帰ってきたときに
子どもが、自分が学校で作った作品を見せたかったのに
ママが見てくれなくて
怒って、コップをさかさまにしてコップに入っていた水を絨毯にぶちまけてしまった。

彼女は、このとき、この子をだっこして

一緒にこの「再評価」を考えたのだそうです。

まず、この子は、ママが帰ってきたから自分の作品をみてほしかったのに
ママが見てくれなくて、腹が立った。悲しかった。感情

そのとき、どんなことを考えて、悲しくなった(感情の出発点)のか?

その答えは、

「僕のつくったものはママにとって大事なものではない。

僕はママにとって大事な存在ではない。

と考えたのだと。→考え

だから、腹が立って水をこぼしたのだと。→行動

感情に関しては、「悲しいのがわかるよ。ママがすぐ見れなくてごめんね。」と伝えた上で

でも、考えに関しては「ちがうんだよ。」と伝えたそうです。

ママは先にやらないといけないことがあったからそれをやっただけで

それが終わったらすぐに見たかったんだよ。
ママにとってあなたが大切なものではないというのは違う。

ママにとってあなたは一番大切な存在。

いつの日もいつのときも変わらない。

でも、一番大切な存在だからといって、
いつもいつも一番に対応できるわけじゃない。

一番に対応しない=大切じゃない

という考えはまちがっているからそこは考えを見直さないとだめだよ。

一番に対応しても二番に対応しても
もっとあとに対応しても
いつでもママにとってあなたは一番大切な存在だよ。

だったら、

それがわかれば、さっきの感情、怒る気持ち、悲しい気持ちは
すこしやわらぐよね?

あなたが水をこぼしても、ママにとってはあなたが大切な気持ちは変わらない。
わかるよね?

だから、一緒に水をふこう。

って3歳のこどもに話をしたのだとか。

いろんな生活の中で、珍しい成功例だったと彼女はおっしゃるんですが

なんだかすごく理解できる気がしました・・!

これってなんでも当てはまりませんか?

なんかやっちゃったと思ったら立ち止まる。
今、自分が怒りや悲しみの感情があれば
それがどこからきているのかを考える
・・・・

そこで自分を見つめなおしたり
自分の本当の気持ちに気づいたりするんじゃないかなってね。

その後、いろんな場面で
その言葉をめっちゃ思い出しました。

反対の場面でも再評価

なるほどなとさらに思ったのは
これは反対の立場でもありえたのだと。

子どもたちが家を散らかして掃除をしないとき
イライラしてきて怒りまくったと。

でもそれも、自分の感情を再評価すると、
子どもたちがこんなに言うことを聞かないなんて
自分へのリスペクトがないのではないか
自分を軽んじているのではないか
と思った
ところからきているんじゃないかと。

でもそれは、決して
子どもたちが自分を軽んじているわけでなく
ただ遊びたかっただけだよねと
そう考えると気持ちがまた変わってくるよねって話です。

それもまた共感。

基本、自分の感情に対し、こうやって
再評価をするということ、
すっごく大事な気がしますね。

こどもに対するエンパシー

あとね、子どもに対する「エンパシー(共感)」も忘れないでいようと思っている
って話もしてて、
それもめっちゃおもしろかったですよ。

自分が子どもの状況にたったら
どう思うか

どう言葉をかけてもらいたいか
常に考えるようにしていると。

たとえば、月曜の朝
子どもたちが

「学校に行きたくないな~」って話しながら
だらだらと準備をしている場面があり
自分は会社に行く前に彼らを送らないといけないので
聞いてるとイライラする。

で、ついつい
学校で学ぶことの意義とか
学校に行くことが義務であることとか
友達に会って楽しいよねとか
そういうことを言いたくなってしまって

ふと、立ち止まって考えてみたと。

たとえば、自分だって月曜の朝
どれだけ仕事に意義ややりがいを感じていて
仕事が好きでも
あ~だるいな~、とか
行きたくないな~、とか
感じることはあるよねと。

でもそんなとき、たとえば夫に
仕事の意義を語り始めたり
仕事の必要性を言われたり
楽しいこともあるでしょう?とか
仕事好きでしょう?とか言われたりしたら
もうコーヒーぶっかけたくなるほど腹立つやろなと。

説得されたいわけでなく
単に、わかるよ、と共感してほしいだけ。

自分だったらこういう言葉をかけてほしいなと思う言葉を
子どもたちにかけてあげなくては
と思うと。

「ママも行きたくないわ~。
行きたくないよね。
でも行かなくちゃだよね。

仕方ないから一緒にいこう」
と一緒に家を出てみんなで遅刻したのだそう。

なるほど~!!!

これはもうめっちゃわかるねん!!

今でも、これは毎日あるからな!!!
ムスメが

ムスメ
ムスメ

学校だるいわ~!

課題もやってないし、先生はうるさいし
面倒やわ~!
さぼろかな~

とか言おうもんなら
すぐさま、
おいおいこっちはどんだけお金かけてると思ってるねん

とか
そんなんで大学院に行くなんて意味あんのか
とか
でも先生はめっちゃ親身になってくれるいい先生やんか

とか
ほんまに言いたくなるんです。ほんまに!!!
いちいちそういうことを言わないようにしてるんですが
(言われたくないやろうし。もう大人やし。)
やっぱりそれはそうだよなぁってね。

いちいち言われたくないやろうし
もしかして自分が反対の立場だったとしても
言われたくないよねって。

そしてそれは、私が
さぼろうかなと言うムスメ

→学校の意義を考えていないし、かけたお金のことも考えていないから腹が立つ

と考えてその感情にいきついているけれど
決してそういうわけではないのだということね!
いちいちそこで説教されたくないわな。

じゃあ、もう感じることも言えなくなるやん、って話。
ぼやきたいときは誰でもある。
でもぼやいたからって
どうでもいいとか
ほんまに意味を感じてないとか
そういうことと同義ではないということなんですよね~

いや~めっちゃわかりやすい!!

なんだか日常で「再評価」しなあかんこと
めっちゃあるやんな?
って思いました。

この内田舞さん、本当にすごい人やなと思います。

いろんな研究をされてる才女でしょうけど
私のような素人にもわかる言葉で
きちんと説明をしてくれるんですね~

頭のいいひとってみんなそうですね。

いや~ほんま、おもしろいです。

本を出されたみたいなので読んでみたいなぁと思っております。
まずはyoutube、オススメです!



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