スポンサーリンク
スポンサーリンク

仕事がとても忙しかったことから思い出した昔の自分

仕事がとても忙しかったことから思い出した昔の自分 自分のこと

今週ヤバかったっす~!

1年で1度か2度の多忙の時期・・・
とあるイベントがらみで
毎年この時期はヤバいことになります・・・

ここのところ連日
気づいたら22時・・
よう考えたらお昼ご飯も食べてないやん。
あれよあれよと23時・・・
みたいなことになって

でも次の日の朝ももう6時に起きたら身支度して
ごはんも食べず作らず会社に向かうという・・

大昔の
会社に人生を掲げていた
ムスコの歳のころの働き方を思い出しました(笑)。

あの経験があるから
割とこの多忙さには
何十年たった今でも
私には抵抗がありません。
いや~びっくりするくらいに。

むかしのはなし

おっちゃんらが

おれらの若いころはな・・!

おれがあの大仕事をやったんや~!

どんなに大変やったかというとな!・・・

みたいな話をよくしますよね。
あれだけはやめておこう~
聞かされるほうは、ただの自慢話としか思えないし
すごいひとほど自分のことは語らないもの。

そう思ってきたけれど
いろんなことがあっての今があるわけで
ずっとつながっているから
自分の軌跡を話したくなる気持ちもわかる~。

というわけで私の話(笑)。ほぼ自分のために振り返ります。
こういう多忙な時期は、毎回。
振り返ります。

将来の夢

小さいころから田舎者ゆえ
都会のひとたちよりも
テレビの中の世界へのあこがれが強くて
いつも楽しみにしている歌番組を見て
自分が司会者になったら?
ってシュミレーションしていました。(そこ?)

小学校の文集の「将来の夢」は

「放送局に入りたい」

でした。

中学になって、
めちゃくちゃラジオっ子になって
オールナイトニッポンやなんかを
めちゃくちゃ聴くようになり
はがきも出して読まれたりして

夢がだんだん明確になりました。

「ラジオしゃべりたい」

ラジオのパーソナリティをマネして
ひとりでしゃべったりしていたのを思い出します。

そんなころ、中学の教頭先生が
生徒たち1人1人の夢を聞く、
というイベントがあって
そこで、放送局で働きたい、なんていう話をしたら
全校生徒の前で

マスコミで働きたい、などと浮ついた夢を持っている人もいた。

もっとまじめに堅実に

きちんと将来のことを考えましょう。

って言われて
本当にショックやったことを覚えています。

どんなに自分の価値観と違うことがあったとて
子どもの言うことや夢を
1ミリたりとも否定してはいけない

このときの教訓は今も私の心の中にあります。
こんなにものを忘れる私が
こういうショックだったことだけは
今なおずっと覚えているからです。

そして夢に向けて


その夢はずっと変わらずで
大学に入ってから、
だんだんと就職が近づいてくる中で

放送局に就職するなら
なにかしら人と違うことをしないといけない。

また、英文科だった私は
とにかく英語が好きで
高校のころになんとなく受けた留学試験で
合格が出たものの奨学金が出ず
(一緒に受けた友達は奨学金ありの合格)
「ちゃんと英語力がついてから留学すべき」
という父の方針により行くことができなかったこともあり

両方の意味で

留学しよう!

と思い立ちまして
大学の交換留学試験を受験。

しかしながらTOEFLの点数が足りないこともあって
あっさり不合格・・・

でもあきらめきれずに
そのあとTOEFLを何度も受験して
その次の年にまた交換留学試験に挑戦して
ぎりぎりなんとか合格し!(^^)!

突然親に

「受かってしまった!」

って連絡するっていう。
裕福な家でもなかったのに
留学させてもらえる資金があるかどうかを聞かずに受験とか
親はびっくりし
そしてさぞかし大変だったことでしょう。

大学4年生で1年のアメリカ留学。
帰国したら同級生はみんな卒業していました。(あたりまえ)

でも、今思えば、この経験がないと
今の私はなかったというくらいに
世界は広いのだということを知り
実際に見て経験して
めちゃくちゃターニングポイントになったなという気がしています。
日本の大学生活とは全然違いましたから・・・
とにかくアメリカの学生は勉強するので
私ら日本人は英語というだけで大変やし
毎晩毎晩、寮のスタディルームで朝まで勉強して授業を受けて
また図書館と寮で課題をして・・・
という日々で
ほんまにしんどくて大変やったけど

しんどい経験こそ人生の支えになる

それは本当だなって思います。
支えになるっていうか、ずーっと忘れへん、っていうことですかね。

だから、わが子が留学したいとか
なにか挑戦したい、って言うたら
自分はおかゆを食べてでも
経験させてあげたい!!

とずっと思っていました。

うちの子たちはそんなことを言う子はおらず
浪人や留年でお金を使いましたけどね(笑)。
いやでもまぁ、それも「しんどい経験」ではあるか(笑)

と、話がまたそれました。

いつから私の人生回顧録になってん(笑)。
そう、「夢に向けて」も理由のひとつであった留学でしたが
思いがけない収穫物をもらった気がしていました。

ほんまにここで人生の方向が変わりましたから。
環境を変える、
ということは、本当に大きな力があるんだなと思います。

あれあれ、私の遺書みたいになってきたな~
てかまさに備忘録。
でも、人生の振り返り。
ときにこれをすることは自分の中の整理ができていいような気がします。

つづく。(誰も楽しみにはしない(笑))

コメント

タイトルとURLをコピーしました