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なんだそれ、ってくらいに落ち込むこと

なんだそれ、ってくらいに落ち込むこと 自分のこと

またもや
あっ!

という間に週末が過ぎました。

どうよ!!

もうここのところの私といったら
自己嫌悪のかたまりでしかなく

ヤバイほど沼におちていっておりますよ・・・

これは更年期というだけなのか
そもそもの私の特性なのか
これまでの私の経験からとうとう気づいてしまったものなのか・・・

どうしたことか。

いろんなことを考えて
ふつふつと落ち込みモードがしのびよってきます。

ゴミを見ても落ち込む

自分でも
おいこれヤバイやろ、
と思ったのは

土曜日に美容室に行ったんですが
いつものナルーヘア
マンションの2階にあるんです。

美容室に行くとき、1階のゴミ置き場の横を通るんですが
そこにたくさんゴミ袋があって

そのひとつのゴミ袋の中に

カップ麺のカップが入っていたんです。

そこで思い出したのが
その前の日の夜に
ごはんはいらんと言ってたムスメが
なんかおなかすいたな~・・と
夜遅くに言い出し

そこに便乗して
ダイエットしなくちゃな私は
夕食を抜いていたこともあって
そんなことを言われたら
私までなんか食べたくなるやん、って
もう脳がそっちにしかいかなくなって

makko
makko

お鍋の材料あるし、
1人鍋する?

って聞いたらムスメが

ムスメ
ムスメ

いや~この時間はやっぱりラーメンでしょ!

しかも、なんかわからんけど、

CMやっててどうしても食べたくなったから

チキンラーメン!

って言うじゃないですか!

そんなん言われたら私もなんか
もう劇的に身体に悪いインスタントラーメンを食べたくなるじゃないですか!

もうほんまに子どもか!!!(to自分)

かくして、ムスメはチキンラーメンを
私はうまかっちゃんを食べたという・・・・・

いやもうほんまにどうなってるねん。
もはや賞味期限も数日過ぎてたけど
普段食べないだけに
モーレツに食べたくなるっていう。

こういう時期、若いころあったけど
今もかい!

ほんで、そのゴミを見たときに

makko
makko

こうやってゴミを見ると、ああ、カップ麺って・・・

なんと虚しい生活ぶり・・

それがゴミに表れてて。

もう少し丁寧に暮らせないものか。

インスタントカップ麺ってなんか

そのひとの生活を思い描いてしまって

ちょっと虚しい・・・

と、とても心がざわざわした感じになったんですが

いやいや、私もやん。
ムスメがチキンラーメンを食べたのも
なんか親である私の責任のような気がする。

そして私自身がインスタントラーメンってどうよ。

しかも50代になってそんな。

もっと丁寧な暮らしをしている自分でいたかったのに
なんで私はこうも
自堕落でいいかげんで
テキトーな食事をして
子どもも同じような感じになっちゃって

ああ、私の人生とは
どうしてこうなってしまったのか・・

いやでもすべて自分の責任やろ。

なんでなんでなんで・・・

はぁ。あのゴミは私だ・・!

って
もう一瞬のゴミ目撃で
ここまで思う自分って
どうよ。

ちょっと病的ですかね。

なんだかとても悲しい気持ちになりました。

若者を見ても落ち込む

まぁそもそもここのところ
元気はつらつな会社の若者たちを見ていても
あれこれやりたいことがあって
希望にもえていて
将来はもう全然見えないほど先のほうにあって
あれやこれやといろんなことを

文句も言うけど提案もしてきて

いや元気やな!
いや自信あるねんな!

いやこれからいろんなことできるもんな!

なんかしらんけど
ひねくれババアのように
そんなことを感じてしまって

自分の顔を鏡で見て
思いのほか50代そのものの自分がそこにいて
(思いのほかって!なぁ(笑))

いや、自分の目からは自分は見えなくて
若者たちしか見えてないからね。職場では。

なんだかふと
ああ~
私が20代や30代のころ
50代の女性なんて会社にはいなかったのに

今の彼女たちにとって
私はどういうふうにうつるのだろうか?

「うざいなあのばばぁ」的な?(笑)

ウザく言うことはしてないつもりやけど

それでも、やっぱり
いや時代じゃないっしょそれ!
みたいなことはあるんだろうな~
とか(笑)。

なんだこのマイナス思考(笑)。

書いててもちょっと笑えますけど
でもそんなふうい思うことが
けっこうあるんですよ奥さん。

いやほんま、どうした私。

結局のところは

やっぱり気持ちが
どこかしら不安定で
昔のように
なんでも楽観的にとらえられることもできず
マイナスがマイナスを呼んできているという

なんかそういう状態なんですね~。

やっぱりプラスもマイナスも連鎖する(笑)。

これこそ気持ちのもちようで
どうとでも変化できるはずで

しあわせは自分の心が決めるし

不幸も自分の心が決めるわけで

なんとなくいつもそれを心に保ってきたけれど

ここにきてこれまでと違うなと思うのは

ただ、ゴミを見て
そこまでに思ってしまう
感じてしまう自分は
どうすりゃ上を向けるのか

ということ。

これはなかなかの難解な問いでございますよ。

いやほんまに。

なんかやっぱり
上を向いては下を向く。
そんな不安定な自分が
自分の中の奥底にひそんでいて
顔を出す頻度が高くなったような

そんな感じがしています。

誰でもこういうことがあるものか。

それとも、これまでなーんも考えずに
楽観的に生きてきた私だからこそなのか( 一一)

理由はようわかりませんが
わかっているのは
そんな自分と向きあっていくしか
方法はないっちゅうことです。

そうかよしよし、そういうふうに思ったんだよねと

否定せずにまずは認めるっていう。

だから悪い、でもなく、それでいい、でもなく
そう思ったんだなぁ私、と、
ただそれだけのこと。

そこには発見も解決もなく
ただ等身大の自分がそこにおるだけで
きっとこれもまた
なにかの道中であるんだろうなと

ただ、そんなふうに自分を傍観しています。

そんな自分が悲しく
そしてまたそんな自分が抱きしめたいほどいとおしく

人間とは本当に複雑怪奇なものだなぁと
今日もまた思うのでありました。

そんな、2月のある日のおはなし。

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