叔父が亡くなりました。
東京に住んでいる叔父なのですが、
ここのところ長く会っていませんでした。
親戚に会うとき
小さいころは、
「おばあちゃんち」に行くときは
決まって法事やお盆、お正月で
そこで親戚が集まってきて
毎年のように会いました。
父方のほうも
お盆やお正月になると
親戚が帰ってくるので、
こちらは私たちが受け入れるほうで
母が嫁としてしんどくなる・・・
子どもとしては非常に微妙な期間でした(笑)。
親戚来るのはうれしいけど、
お母さんの機嫌は超絶悪いっていう(笑)
それはともかく、そうやって
親戚が集まるタイミングは
けっこうあったな~って
思います。
祖父や祖母が亡くなってからは
最初の法事で集まるくらいで
その後はもう全然集まらなくなり
会うこともなくなりました。
かろうじて年賀状のやりとりはしているけれど
去年、年賀状じまいをした我が家は
もうやりとりすらなくなり・・
連絡することもなくなるのかと。
なんだか寂しいなぁ~
と、最近思っていました。
いとこたちとも楽しく遊んでいたのに
いつしか大きくなるにしたがって
法事なんかも来れなかったり
ゆっくり遊ぶ時間もなくなって
そこからは、もう、
いとこの思い出といえば
小さいころに楽しく一緒に遊んだ思い出しかなく。
せっかく親戚という絆があるのに
なんだか寂しいもんです。
祖父母の家は、2人とも亡くなってから
処分したので
余計に「集まる場所」がなくなりました。
そんななか
母は兄弟が5人いて
この兄弟たちは、東京や九州、
けっこう離れたところにバラバラで住んでいますが
なにかというと結束して
あれこれの決め事に対処していたように思います。
父方といえば、3人兄弟で、もう父含め2人は亡くなり
叔父が1人残っているだけ。
ただ、彼の家族は私の実家に住んでいるので
ここはまだたま~に法事をして集まります。
といっても、父の17回忌とか!
祖父の33回忌とか!
そんなに法事すんの?ってタイミングですけど(笑)
(普通の家はせんだろう(笑))
しかし、祖父母の家がない母方の親戚は
ま~会いません。
東京と大阪に離れてたら
なかなか会う機会ないですよね。
ただね、今回亡くなった叔父は、
母の弟であるにもかかわらず、
長男として、皆をまとめて、
大変まめに連絡をとりあってくれていたんですよね。
大阪に来たときには声をかけてもらって
空港でお会いしたこともありました。
母が入院したときには必ず電話をくださったり
メールでのやりとりも数多くした記憶があります。
だから、そんな叔父が
認知症になり病院に入って
もう誰が誰かもわからなくなってるよと聞いて
ショックやったんです。
つい先日まで、メールのやりとりをして
「僕は75歳まで勤務したよ!」とおっしゃっていて
ははぁ!75歳までとはすごすぎんかい?
私も働きたいがな!
と思ったりしてね。
とことん明るくて
どこまでも一家をまとめてくれる感じが
ありがたく、大好きな叔父でした。
訃報を受けて
もちろんすぐに飛んでいくつもりで
日帰りでも絶対葬儀には行きたい!
お顔を見たい!
と思っていたけれど
昨今のコロナ事情やなんやで
家族葬にするから、遠方からはご遠慮を、と連絡を受けて
本当に残念で( 一一)
普段東京で離れているし、
しばらくお会いしていないので
やっぱり、葬儀に行ってきちんとお別れをしないと
自分の気持ちがすまないというか、
別に変わらない日常がここにはあって
亡くなられた実感もないまま日々が過ぎていくんですよね。
今はもうそれが普通になりましたけど。
ともかく、できることをするしかないので
すぐに弔電を送り、お香典を送ろうとして
一筆書いて入れよう(喪主は従弟)と思い
母の分のお香典も一緒に送るので
そうだ、母にも書いてもらおう、と思って
連絡しました。
とりあえず、一文だけでもなにか書いてくれたら
それをお香典と一緒に従弟(叔母様もご健在)に送るわ、
と伝えていたんです。
母の思い
そして、母から、手紙書けたと連絡があり
じゃあ、私の手紙も一緒に入れて送るね、と
手紙を取りに行って
見てみてな!私ももうすぐ行くからって書いたわ!
というので、母の手紙を読みましたのです。
すると、老人らしく、もう、字はぶるぶるな感じだったんですが(笑)
そこには、ただのお悔やみでなく
母の思いが書かれていたんです。
(私が「定型文でなく、ひとことでも思い出を書いてな!」と言ったからかもだけど(笑))
まず、お悔やみの文言があったあと。
なんと、叔父(彼女の弟)に向けての言葉が。
もうこれは、棺桶に一緒に入れてもらうでしょうから、
私が覚えているうちにここに。
「●●様 あなたは父母兄弟、みんなに愛され、
兄ちゃん、兄ちゃんと言われて、いつも一緒に大きくなり
みんなの生活に気を配って
幸せを見守ってくださいました。
今まで兄弟5人長生きできて、いつも中心になって仲良くして
お世話になりました。
楽しかった思い出たくさんに。
なつかしい思い出をありがとう、ありがとう。
みんな、あとからいきますから、お会いしましょうね。
待っててくださいね。
寂しくなりましたけど、また会いましょう。」
って。
じんわり、じんわりしました。
いつもいらいらする母だけれど
ああ、そうだ、母も長い自分の人生を生きてきて
終盤にさしかかり、いろんな思い出を胸に
日々を一生懸命生きているんだなと。
いつか、あちらの世界で、父や弟や
家族に会えるのを楽しみにもしているのかなと。
何度読んでも、涙が出るんです。
あの世がどうのとか、
前世がどうのとか
いろいろな話があるけれど
もうまぎれもない事実として
あちらの世で、こちらで家族だったひとたちに
また会える。
その思いが生きているひとたちを支えているのかもしれません。
何度読んでもじんわりと。
やっぱり、母とゆっくり話す時間をとったり
一緒にいる時間を大事にしなくちゃなと
最近忘れがちなことを
思い出させてもらった気がします。
今は永遠に続かず
人は100%死ぬ、それ以上に確実なことはないくらいに。
やっぱり、
大事にしないとあかんです、この瞬間を。
とはいえ、きっとまた母と会うといらっとするんですが(笑)
でも、少し距離をもって
こんな大事な思いを教えてくれた1人の人間として
母とまたいろんな話ができたらいいなと
思うできごとなのでした。
叔父さん、どうか、私のことも
あちらで待っていてくださいね。
小さいころみたいに、またみんなで集って
楽しい話をいたしましょう。
それまで精一杯、こちらの世界で生きますね。
母に教わる
弔いの言葉は
心に刺さりました。
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