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人生が終わるとしたら

人生が終わるとしたら こども・家族

昨日書いた
母の弟への手紙。
何度も思い出しては
じんわりしています。

本当に、100%確実なことは
今ここにいる全員が死ぬこと。
それだけは確実な未来としてあります、ね。

自分の人生を振り返って

まだ早い早い!
54歳やで〜
と、思ってますが
ガンで亡くなった友達もいてるし
病気になってる友達もいてるし
そりゃわからんよねぇ。
交通事故で亡くなったとして
「54歳」と聞いても
まぁまぁ・・
「若い!」って言うのは
私ら以上の年齢の方だけ(笑)
ね。
そう思うと、ほんと
死んでも大丈夫なように
ちゃんとやりたいことをやって
生きたいよねぇ、

とは思います。
いつも両学長が(どんだけ信奉してるねん)
「会社に行きたくないなぁ・・
月曜がいややなぁ・・
そんなふうに思うところになぜいるんですか?
どんだけ文句言ってても
そこにいるという選択をしたのは自分ですよ!
っておっしゃってて
もうその通りやなと思うんですけど
会社という組織に属せず
自分の腕一本で稼いできた学長は
会社員人生を生きてきた私たちよりも
おそれ」が少ないのかもな〜、と思います。
何十年も会社員をやってくると
「毎月自動的に給与が振り込まれるシステム」に慣れすぎて
ほんと感覚が麻痺しますよね。

とはいえ、私は、
この会社を辞めようか・・
と思ったことはないのですけど。

ある意味幸せだなぁと思いますが
もしかすると、やっぱり少しは
「麻痺している」からというのもあるのかも(笑)。

好きなことをして生きられているのかなぁ

そう、そして、
本当に自分が好きなように生きられているのかなぁ
と思むと、
どうだろう、と思うのと同時に
まぁそれはそれなりに
生きられている気もします。
時間を忘れられるほど没頭する趣味はないけれど
お笑いが好きだったり
ドラマが好きだったり
仕事もまぁ、好きだよね。
人のこころの不思議を知るのが好きだったり
いろんな「好き」とふれあいながら
日々を生きているのかなぁ

と思います。
父が、余命1年となったとき
叔母が
「お義兄さん、大丈夫かなぁ。
どうしても生きたい!というような
なにか執着みたいなものがお兄さんにはなさそうで

だから、奇跡が起こったり
そういうことはなさそうな気がする」
と言ってたんです。
非常に率直な意見だなと思ったんですが
自分にも当てはまるところがあるような気がして
そして父は本当に
先生の宣告通り、脳腫瘍発見からちょうど1年で
亡くなりました。
ある意味、幸せな人生だったのかなぁと思うんですが
「執着がない」ことが悪いことでもないだろうなと思ったり、
でも、幸せだったかどうかなんて
本人にしかわからないし
本人だって
幸せなこともあったし不幸なこともあったし
総じて、まぁ、OKでしたと

そう思うのじゃないかなってね、
死を受け入れたらそうなんじゃないかな、と思うんです。
父も
没頭できる趣味なんてなかったように思うんですけど、
ただ
仕事で関西に行くときにひとりでドライブすることや
ひとりでまちあるきすること、
意外にひとりの時間を楽しむタイプで
家にいるときは、
時間ができるとひとりで_
グローブとボールをもって家の外に出て
お寺の塀に向かってボール壁あてしていた姿
今もよく覚えています。
私か姉が男だったら
キャッチボールでもしてあげられたのになぁと思いますが
ああやってひとりで
壁宛てすること自体が
好きだったのかもしれません。

いつ死んでもいいのか

と、そんな、叔父の葬儀の日に
自分の人生を振り返ってみたりして。
でも、たとえば、今、私が死ぬとしたら
余命あと1年と言われたとしたら
(全然不思議な話じゃないですよね)
この世に生まれて
祖父や祖母、父や母にかわいがられて育ち
いろんな経験をして大人になったのはもちろん
懐かしい思い出、愛された思い出
自己肯定感をはぐくんでもらった時間、
となるんでしょうけど
この世に生まれた幸福の一番はどうしたって
この子たちに出会えたこと、
ってなるでしょうね。
これが私の生まれてきた意味だったんじゃないかってね。
こんなに無条件で人を愛せるのだということを
教えてくれた存在。

もちろん私自身、小さいころは
母親が大好きでたまりませんでしたから、
家族とはやっぱり
無償の愛の対象なのだなぁって
そんな風に思います。
まだまだなんでもできると思うけれど
それでも齢54歳。
さきのほうがほぼ確実に短いわけで
確実にやってくる死を見ながらも
日々のちいさな幸せを見つけていけたらなぁと
そんな平凡な人生を生きてます(笑)。

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