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出会いがあれば別れがある「あたりまえ」

出会いがあれば別れがある「あたりまえ」 出会った人

誰もがいつかはお別れをする。

それは、ただ会わなくなるということでなく
この世からいなくなるということ。

この世っていうのは
いま私たちに見えているこの現世ということ。

「あの世」を信じているのかい、
と言われると
私は信じているんですが
あの世で本当に
祖父母や父など
お別れした人に会えるかどうかは
わかりません。

形はもうないのでしょうけれど
その魂のようなものはおそらく
もとの場所にもどっていって
見えないだけで近くにいるのか
空にいるのかはわからないけれど
確かに存在しているんじゃないかと

そう思っています。

だって、
人間はどこから生まれてどこに行きますか?
人間のこころは、どうなっていて
それがあとかたもなくなくなってしまうということは
証明されておらず
考えれば不思議なことはいっぱいあって
科学で実際にわかっていないことのほうが多く

だからこそ、
不思議なことはあって当然なんですよね。
解明されていないことのほうが多いわけやから。

と、これが、
中学のときの英語の先生の持論でした。

いまどうしておられるのかわかりませんが
こういう話だけはきっちり覚えていますね。

あまり私的な話をする先生ではなかっただけに余計に。

確かに~

と思ってからというもの
不思議なことは
決して恐ろしいものでも
お祓いしなきゃならないもんでもなく
あって当然よ。

と思って今まできました。
(先生という職業は
こんなにも影響を与えるすごい仕事(笑))

ホスピスに入った25年前の会社の先輩

ホスピスに入られた
25年前に同じ会社で働いていた先輩。
みんなで思いを届けました。

この先輩が
亡くなられたと連絡を受けました。

1か月前までLINEでやりとりもできていたのに
こんなにも早く
亡くなられるなんて
誰も想像してなくて。

いつも同じ上司に
先輩も私もよく叱られてましたよね!

なんて思いで話を
LINEでしていたんですが

その先輩は
起業されて、
それはそれは事業は大きくなって
たまにお会いすることもありましたが
いつも変わらないきさくな先輩で

そして、ガンを患われてからも
ご自身のやっておられる事業を
どんどん拡大しておられました。

やらなければならないことがある。
誰かのために
あのひとたちのために
自分がこれをやらなくては。

そんな思いだったようで
聞いて本当に感動しました。

闘病中、いかにしんどい思いをされてるだろうと思って
連絡するのを躊躇しつつも
連絡してみたら
思いがけず
事業の話を熱く語ってくださり

ああ、闘病中は
自分のことに必死で
治療に専念されているのだろうなと

すごい先入観のあった自分を恥じ

私も今日をしっかり生きて
生きている意味をかみしめながら
やっていかなくちゃなと

こちらのほうが元気をもらったんです。

それがほんの2か月前。

ホスピスに入られて
みんなの動画を送ったら
思いのほか、喜ばれていたのが
1か月前。

あまりにも早すぎる。

これだけの事業を展開されて
たくさんの人を喜ばせてきたこの先輩も
当たり前やけど人生には限りがあって
いま現在、もうこの世にはいなく
この空を見ることも
この朝を感じることもできないのだと

そう思うと本当に。
人間の命ははかなく
生きているということの意味を
いろいろ考えます。

会社の他の先輩が

ま、ぼくらももうすぐあちらに行くからな!

っておっしゃったのが
妙にしっくりきて

いやほんま。

近くの人が亡くなるということが
20代や30代のころとは
違う形で自分の中にせまってくるものがあるって

そんなふうに思います。

そしてこれは偶然か。

そんな訃報をもらった直後、
お昼休憩のときに

先輩はこんないいお天気の
真っ青な空が広がる日に
亡くなられたのだなぁ

そう思いながら空を見ていて

いつも私が
亡くなった大事な人を思い出すのは
こういう真っ青な空の日なんだよなぁ

そんなことも思いながら

ふと、なにげに携帯を見ていて
yahooニュースの文字が目に留まって。

「56歳で死亡した〇〇〇〇(肩書)」

ああ、若くして亡くなる方もいてるのだなと
いや「若い」というのは私から見てのことで
子どもらから見たら50代って
決して若くはないよな~
なんてことを思いながら

なにげにクリックして
ニュースを見たらば。

そこに出てきた写真は
見たことのある顔。

目を疑いました。

知り合いでした。
知り合いっていうか
若いころかなり親しかった方。

病気??と思ったのもつかのま
よく読んでみると
突然死で

事故と事件の両面から捜査をされていると・・

確かに、
とても不自然で
殺人未遂事件のようなそんな亡くなり方。

絶対におかしい。

ある程度有名になられた方だから
こうやってyahooニュースになったのだろうけれど
あまりにも衝撃でした。

しかも前述の先輩と同じ日に亡くなるとか。

この方とは、
いまだに年賀状のやりとりだけしていますが
私の人生の中で
多大な影響を与えてくれた方で

大学時代に
アジアの支援をしていたことがあって
そのきっかけをくださった方。

彼に会って
アジアの現状を知り
ボランティアを始め

そして、支援も兼ねて
バングラデシュに行くツアーを企画した彼の
そのツアーに参加して
初めてバングラデシュに行き
実際にこの目で
途上国の現状を見、
子どもたちのきらきら輝く目を見て
日本の子供たちとこの子どもたちの
どちらが幸せなんだろうかと

途上国の子どもたちは不幸だと思い込んでいた
自分の先入観を恥じ
価値観をがらんがらんと総崩しにされた
アジア来訪。

この幸せを知っている子どもたちが
勉強することで絶対に
自分たちの国を守っていけるはずだから
一生かけて支援したいと
お金でモノを支援するのでなく
子どもたちに教育を受けてもらう支援を。

そう思い

帰国してからもう30年、
ずっとずっと
バングラデシュの教育機関を支援しているんです。

毎月、わずかながら支援をし続けて
あのころ学校に行けなかった小さなバングラデシュの少女も
小学中学高校そして大学と教育を受け
もう40歳前後になって結婚もして
facebookでまた再会。

そんな大事な出会いも与えてもらった。

あのときのアジア支援が
私の中には今なお棲みついていて
今なお支援は続けているんです。
彼とはずっと会っていないけれど

私の人生の恩人であることに間違いはない。

そんな彼が。

いったい何があったのか。

衝撃で動けなくなりました。

けがをして見つかり
医者の治療もむなしく
亡くなったのだと
ニュースは報じていました。

いつも明るく
でも、常に情熱を持って
他人のために動き続けてきた彼に
いったいなにがあったのか・・

あまりに早く
まありに突然の
そしてやりきれない別れとなりました。

そういえば数年前に
大阪に来るから時間が合ったら会おう!
と彼から連絡があって
でも私は仕事で難しくて
断ってしまったことがありました。

あのとき、会っていれば。

やはり
会いたい人には
会えるうちに会っておかないといけない。

特に、自分の人生にとって大事なひととは
絶対に。

もう今となっては
どんな話もできないし
そして
30年の思いのつまった
「ありがとう」
も彼に届かず

遠い空の下で
彼を思うしかないんです。

ただ安らかに眠ってほしいと
いまはそれだけです。

ひととの別れにいつも思う

そう。こうやって
知っているひとが亡くなること
が増えました、

もうそんな歳なのだということ。

先輩のおっしゃったように
「我々ももうすぐあちらに行く」んです。
あっという間に死んでしまうんです。

ありきたりだけど、やっぱり

好きなことを
やりたいと思うことを

なにも立派なことじゃなくてもいい
ひとつのことをきわめなくてもいい

なにかしら毎日、
自分が納得できるように

思うとおりに生きることが大事ちゃうかと

人が亡くなるといつも思うけれど

また思いましたよ。

昨日息をして
身体を動かしていた
あのひとはもうこの世にはいなく
身体はもう脱ぎ捨てて
魂はそこから出て行って

いつかは私もそうなる。

だから。

いま、自分が本当にやりたいことはなに。

今日が最後の日だとしたら
今日や
ろうとしてることをやってるか?

そう自問して
今日を生きていきたいなって

本当にありきたりだし
言い古された言葉だけど
そんなことを思います。

あのいろんな事業を興した先輩も
アジアに目を向けてくれたあのひとも
もうこの世にはいなく
もう二度と、顔を合わせて話すことはできない。

人間とは、はかない。
はかないけど、自分はいま確かに生きている。
彼らの死からなにかを感じながら
学びながら
あと少し、生きる。

さあ、どう生きる?

そんなことを思う
特別な日なのでした。

おふたりのご冥福をお祈りしています。


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