今年は54歳になります。
なんていうか
50歳を過ぎた瞬間から
鬱々することが多くなって
今にいたる・・
なんでしょうかねこれは。
子どもたちが巣立つ時期でもあるからなのか
自分の人生を改めて見つめなおす時期だからなのか
まぁ後者だな。
自分とは何者なのか。
人は誰も
今日が一番若い日!
なにかを始めるのにも
やり直すのも
「もう遅い」ということはないんだと
人生はいつからだって
やりたいことはできるもので
できない場合は
自分が制限をかけてるだけ。
なんてことはよく聞いてきたし
ある意味その通りだとも思うけど
でもやっぱり
ある程度、「もう遅い」感があるのも
嘘じゃないって思う今日この頃。
何を鬱々するのか、ということ
更年期とひとことで言うと
そういうことなのかもしれないけれど
50歳を過ぎたあたりから
ずうっと
思っていることは
自分は何者ぞ
ってことですね。
自分が何者だ!
なんて、誰だってそこで立ち止まることはあるやろうのに
なにか自分だけが
今の自分の中に残っているものはなにもない。
って思っているっていう、
でももう50歳過ぎたやん。
なんていうか、
取返しのつかない感じっていうか
そういうものがあせりにつながって
鬱々する感じになっているように思います。
この解決法は
これね~きっと誰でもあると思うねん。
きっと、本当にふりかえってみたら
50年間生きてきて
なんも残ってないなんてことは
もちろんなくて
自分がやってきた仕事や
子どもを産んで育ててきたことや
どうでもいい話をするために会う友達や
自分が種をまいて水をやって
育てて大きくなったものは
きっといろいろある。
でも、ふと、自分がもう
50歳を過ぎた、ということを認識したときに
ああ、もうこれから
なにかを育てる、
なにかをつくる、
なんていうことになると
先がそんなにめちゃくちゃ長いわけではないよなぁ
という不思議なあせりが
「50歳」という線引きとともに
あらわれてくる感じですかね。
きっとそんなところが
虚無感につながって
鬱々してしまうんだろうなって。
ならば。
そんなことないって!
今からでもなんでもできるって!
遅くないって!
というよりは
まぁ、そうです。
もう50代やねんから
あきらめないといけないこともあるし
取り返しのつかないこともある。
それはそういうもんやろ誰でも。
そこをまずは受け入れることが
そのトンネルから脱出できるとっかかりな気がします。
受け入れる
ということは
簡単なようで
これだけいろいろ考えながら
自分と対話しても
なかなかできないんですね~。
なかなかできないんだということを
54年の人生の中で学んだともいえる気がしてます。
ある種のマイナス感情を
「受け入れる」ことは
自分にとってなかなかつらいことでもあるんですね。
でも、
「受け入れる」からこそ
そこの感情をすりぬけて
先にいけるように思います。
なんでもそうですけど。
つっぱねればつっぱねるほど
その事実を意識して
それが現実になっていく。
でも、それを受け入れると
ゴミ箱にぽいっとできる。
その感情や意識を手放せる。
ということなんでしょうね。
イメトレで学んだことは
いつもこうやって顔を出して
私を救ってくれるんですね。
かといってすべてが解決するわけではないけれど
この4年間でわかったのは
かといって
その感情を
いったん受け入れて
手放すことができたとしても
それがすべて解決するわけではなく
繰り返しその感情が
自分の中に去来し
何度も何度もおしよせてくるのだという
その事実ですね。
また同じ感情がおしよせて
もしや解決してなかったのではと
そう思うけれど、
それは、違うくて
解決したかどうかでいうと
解決はしてないかもしれないけれど
決して後戻りしたり立ち止まったりしているのではなくて
その中にも小さな進歩があるのだということ。
苦しんだり
いったん受け入れたり
いったん手放したり
そんな自分と向き合ったことは
決して無駄になってなくて
もう一度同じような感情がやってきたとしても
決して同じではなく
また少し、自分が半歩でも
足はふみだせているということ。
なんていうか、
そんな自分を
受け入れられていく過程なんだということなんだなって。
もう54歳。
まだ54歳。
そのはざまで
どちらも受け入れられるようになっていくには
とても時間がかかるんだなということを
この更年期沼の中で
学んでいる途中だなと
最近実感します。
いやしかし。
本当に、どうしようもないくらいに
もはや生きていることもどうなんだと
しんどいともいえるし
生きがいはなんやろうとも思うし
もはや投げやりに
「めんどくさい」とすら感じることもあって
でもそこの中で
そうか~
空が青かったらそれでええんや、
とか
道に花が咲いていたらそれでええんや、
とか
夜空にほほえむ丸い月を見られることがあるんや、
とか
それが生きている意味なのかもな、
そもそも
意味などいるかしら、
なんて思えてくることで
不思議と気持ちがとけていったりすることもあって。
人間とは本当に不思議なものなりけりと
ふと思う冬のある日だったりして。
更年期鬱が何度も何度もやってくる中で
こんなことを思いながら
今日を生きてます。
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