スポンサーリンク
スポンサーリンク

ひととの境界線って

ひととの境界線って 思い

久々にスタバに行ったわけですけど、
なんと、大きい机の仕切りがなくなっていました( 一一)

びっくり。

横に長い机の仕切りも
みごとに取っ払われて
めちゃくちゃ違和感・・・!

だって大きい机に座ったら
前の人の顔はなんとなく見えない感じになっていたし
(注意喚起の紙とかシールが貼られていたし)
隣の人との間の境界線もはっきりしていて
自分のエリアはここまでねって
きっちりはっきりしてましたもんね?
何もなかったら逆に
自分どこまで使ってええん?
ってなってしまいます(笑)

境界線って重要で

そう、境界線ってけっこう重要で

他人との距離って
コロナ禍で少し、
多めにとるようになったように思います。

だから、会議でも、
隣の席に座るのって
ちょっと躊躇するっていうか
なんか近すぎる感じがするんですよねぇ。

一席あけて座ってしまうっていうかね。

パーソナルバウンダリーっていうのかなぁ。
心の距離というより物理的な距離。

だから、物理的に距離が近い人は
ちょっと気になる。

不思議ですね。

特に、同世代以上の男性で
距離近い人ってけっこういて
知らない間に若い人たちに

「近っ!」「きもっ!」
ってなってるんですよね( 一一)
男性に限らないので私も気をつけないとですけど。

ある意味気の毒な気もするんですが
でもやっぱりそれこそ
「空気をよむ」術も持たなあかん時代になったともいえるかも。

なんか〇〇さん、

話し方がやけに丁寧で

へんにへりくだったり

そして距離も近いじゃないですか。

ちょっときもいんです。

とかいう相談?を受けたりすると
もうほんとに大変な時代だなと思います( 一一)

とはいえ、やっぱりそこは
関係性とか人間性にもよるかなとも思うんですよね。

そう言われる人って
「ええひとやな」ってひと少なくて
なんとなく慇懃無礼だったり
やたら失礼だったり
表裏があったり
やっぱりどこかしら難のある人が多いんですよね。
不思議なもんで。
つまり、
いやがられる人っていうのは
あれこれ理由をつけていやがられるっていう感じですかね。

ま、それはともかく

自分も、距離って気をつけないとな
と思う瞬間です。

そういう話を聞いたときって。

スタバの大机を客観的に見る

そんなことを考えながら
スタバの大机を客観的にみてみると
やっぱり
仕切りがあったときをみんな覚えているからか
むちゃくちゃ遠慮気味に
パーソナルスペースを使ってる気がします。
仕切りがないほうが広々しているのに
個々は、
仕切りがあったときのほうが
仕切りパンパンに使えてたよね?
みたいな(笑)。
不思議なもんです。

若い人が多いし
やっぱりそこは気を使う人が多いのかもしれません。
(おっちゃんおばちゃんが気を使わないわけではないけれど)

なんてか、お行儀がいい。
かくいう私も、
それにならうために
なんとなく最小限のスペースを心がけるっていう
郷に入れが郷に従え方式となってます(笑)。

いや~なんか
コロナ禍が長かっただけに
いろんなことが変化していて
それはほんとに
習慣化するという
心理的変化にも大きく影響してるんやなって
思います。

なんとなく、広々と
みんなの様子が見えてしまっていることに
ドキドキする感じ( 一一)

人々の中で生きる

そんなたいそうなことちゃうわ、
とも思いますが
やっぱり人は
周りの人の中で生きているんだな、
って思います。

この2、3年で
距離をおくということを覚えて
またちょっとちがった距離感の中で
人々の中で生きるということ。
こうやって
ひとの感覚は日々変化する。

オモシロイです。

かくいう私も
なんとなく距離をとることに慣れたり
なんでもかんでも
飲み会に行くのを避けるようになったり
少しずつ変わってきたなと思うし

自分の心地よいことが何かを
考えるようになったなとも思います。

もしかすると、
他人との距離が
近すぎて
自分のことや他人のことが
あまり見えなくなっていたのかもしれないなと思います。

たかが距離、されど距離。
ちょっとしたことやけど
コロナ禍で気づかせてもらうことって
結構大きかったなと思う今日このごろです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました