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世の中にはいろんなひとがいる

世の中にはいろんなひとがいる 出会った人

1週間早いわ~

本当にあっという間すぎてヤバイ。
なんかこればっかり言ってます(笑)
みなさんほんとどうやって時間うまく使ってるの。
おうかがいしたいです!

ええひとってなに

いつも
仕事もプライベートも
買い物もなんでも
ひとです!
って思ってるんですけど

それはやっぱり
そのひとの思いや熱量や
真摯な気持ちが伝わるっていうところなんだなと
そう思っているんですよね。

やっぱひとだな
と思うときのことを思い返してみて

やっぱり信頼できるとか
理由なしに好きだなと思えるとか
他人のことをここまで大事にできるとか

(ということは自分のことを大事にしてないとできないし)

そういうことだと思うんですが
改めて考えるできごとがありました。

愛想がないということと機嫌とのちがい

愛想がないひと
っていますよね?

ただ、ひとことで
「愛想がない」といっても

愛情や熱量があってもぶっきらぼう、
っていうのと
機嫌が悪い、
っていうのと
それはもう全然違いますよね。

愛想はなくても
真摯な思いや愛情の深さは伝わる
よね
と思うのですけど
そういうものがないひとっていうのは
やっぱりまわりのひとにもわかります。

ただ、「機嫌が悪いだけ」って全然違いますよね。

でも、機嫌がよい、悪いを出す人に言われたことがありまして。

結局、愛想がよければいいんですよね

とか

結局、まじめで明るければそこが評価されるんですよね

とか言うんです。

なんかそれってけっこうびっくりで。
そしてなんとなく、
とても嫌な気持ちになったりします。

こころの基準はひとそれぞれ

それはきっと私が
基本、人にいやな顔ができないし
人に対して、傷つけるかもしれない言葉を
ガンガンに言う人のことの気持ちが到底理解できなくて
私の「常識」の中にないから
そう言われると、
自分のことのように感じるからかもしれません。

機嫌を外に出すことができるひともそうで
私はそれが絶対にできない・・

どれだけ嫌なことを言われても
むっとした顔はできないんです。

それはまた別の角度からみると
裏表があるということになるのかもしれません。

ただ、いろいろ考えていて
自分の思うことをそのまま伝えられるひと
表現できるひと
それは、裏表がない、ということであって
ある側面では尊敬もするんですけど
それが
機嫌が悪いとか
傷つける言い方をするとか
そういうことであれば
それは、裏表がないということではなくて
ただ、相手の気持ちを想像することができない
ただの自分の気持ちを優先する自分勝手なひと、
となるのだなってね。

結局のところ
こころの基準はひとそれぞれだけど
ひとの気持ちを想像できるかどうか
が大きな分かれ目になるような気がします。

なんでこんなことをいうって

ま、結局、近くに
いつも不機嫌を表に出す人がいて
それって、なんでなんだろう?
どういう心理状態なんやろう?
ってとっても不思議で
だって
3歳児じゃないねんから
自分の機嫌の悪さを外に出すって
まわりに気を使わせたり
ときには威圧することにもなる
わけで
それを平気でできる心理が私にはわからなくてね。

なんやったら、こちらが振り回されるというか。

で、いろいろネットでみていたら
いま
「フキハラ」といって
不機嫌ハラスメント
ってあるそうなんですよね!

そうか!悩みはみんな同じだったのか!
と思いました。

不機嫌をしっかり表に出すひとって
かまってほしいちゃんだったり
不機嫌によって相手を威圧したかった
要は

自分の思い通りにしたい人
が多いんだそうですね。

それに威圧されたり振り回されたりする人が多くて
それが「不機嫌ハラスメント」と
呼ばれるようになったんだそうです。

てか。
そんな言葉ができるほど
不機嫌な人って多いのね(笑)。

しかしいろいろ調べて思ったのは
やっぱり一番大事なのは
それにより自分が影響受けないこと
巻き込まれないこと
もうそれしか対処がないってことなんですね。

それによってこちらが委縮するのも
しっかり影響受けてるってことになるし
逆に、逆上したり機嫌をとったりするのは
それはそれで同じようにフキハラとなる可能性もある( 一一)

機嫌を表に出すって
ある意味、子ども、ということでもありますから
そこは放置するのが一番いい気がしていたのだけど
やっぱそうなのね。

でもね、やっぱり、
「まじめで明るければいい」
「愛想よければいい」

っていう言葉が
自分だよね?
自分のことそう見てるよね?
なんやったら、「仕事できなくても明るければいいのね
って見てますよね?
って思えてしまうところが
一番もやもやしたんだなと思います。

だいぶもやもやしてましたからね。

でもそれこそ、
誰かの評価などくそくらえ
そんなものは何の基準にもならないわけで
どんなことがあっても
自分自身を認めてくれる
ムスメやムスコがおったらええんちゃいますのん。
そして家族だけじゃなくて
わかってくれるひとがまわりに1人でもおったらええんちゃいますのん。

という結論に至るわけです。

結局、こうやって
人の心を乱そうとしてるだけなんやろなってね。

そうわかっていても言葉を発してしまうって
それを言う人の心の闇を思います。

きっと、無条件で愛されることがなかったのかなぁってね。
自己肯定感の低さハンパないのは
きっとそこかなって。

いずれにしても。
いろんな人いてるわ。
ここ最近、そんな人に立て続けに悩まされて
そんなことをつらつらと考える春なのです。
もっと明るい話題しーやって話(笑)。すんません。

人に癒され、人に悩む。
人生はその連続かもしれません。

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