会社でね、
ものすごくいい集まりがあるんです。
そのひとは一見こわめのひとだった
ずっと昔
子どもがまだ保育所や小学生のころ
今の会社のある部署で働いていて
そのときの上司の話です。
親会社から出向してきたその上司は
昔から知ってはいたけど一緒に仕事をしたことはなくて
ちょっとこわもての
いつも肩で風を切って歩くようなひとで
少しこわかったんです。
ええ~あのひとが上司かぁ、ってね。
でも人は見かけによらんとはまさにこのことで
一緒の部署になってお話をしてみると
めちゃくちゃ温厚で
温厚どころかめちゃくちゃ優しくて
本当にいいひとだった・・・
ちょっと不器用で
あたたかい。
そんなひとだったんです。
いや誤解しててごめんて。
この時期になると思い出す
そのひとは本当に優しくて
我々は自由奔放に仕事ができて
ありがたい存在だったんですが
春に咲く桜が大好きで
桜の時期になると
「そろそろやな」
と言って
近所の桜並木のところにお花見に行くんです。
お酒が大好きだったので
桜並木の下にならぶ屋台で
昼間からお酒を飲んで(笑)
私たちには、食べ物を頼んでくれて
なんだかほっこりしたひとときを過ごすっていう。
饒舌な方ではなかったので
ぽつりぽつりと
ご自身の話をしたり
私たちの話を聞いてくれたり
そして、ひとしきり食べたら
帰って仕事するっていう。
(上司はもう仕事にはなりません(笑))
今とちがって
そんなことも許される
(彼だから許される)時代でもあったのかもしれません。
そんな上司、
どんどんお酒の量が増えていって
昼間は手がぶるぶる震えて
保険証書のサインさえ私が代わりにしていたり(笑)。
考えられませんよね。
人を疑うこともしない
純粋な方でもありました。
そんな上司は、
いろいろな過程を経て
結局、お酒によって身体は蝕まれ
ある日突然亡くなりました。
びっくりと悲しみで
なんだかもう呆然としていた私です。
その後
そしてその1年後、
上司の1周忌ということで
社内で
上司に関わった人たちが
「悼む会をやろう!」
と言い出して
皆で集まって献杯を。
そして知ったのは
その上司が関わったひとたちは皆
その上司のお世話になり
あの温かい気持ちに触れ
彼のことが大好きだったのだということ。
決して「ボス」タイプでもなく
どちらかというとぶっきらぼうで言葉数も少なく
まとめ役でもなかったんですが
じんわりとあたたかいその人柄に
救われた人は多かったのだなと
改めて知りました。
いやびっくりするのはそれだけちゃいます。
それが、今なお、
彼の没後10年以上たっても
毎年続けられているということです。
彼の命日に、誰からともなく
「今年もやろう」
と言い出し、
10人前後が必ず集まっているっていうその事実よ。
メンバーは固定でなく
少々入れ替わったりもありますけど
そのメンバーもみなさん
退職されたり他会社に行ったり
状況はいろいろ変わっているわけですが
それでもみんなが集まるっていう
なんだこれは。
私が知ってる人の中で
こうやって10年以上も毎年
命日に献杯されてる方っていないです。
親(家族)ですら、こんなことないのに。
こりゃもうすごいことやなって。
その日は、集まった皆が
献杯をして彼を思い出し
彼の思い出話で盛り上がる。
もう20年も30年も前の話でですよ?
いやもうすごい。
彼はみんなの中で
いまなお生き続ける。
そして、生きている意味って
こういうことなのかなって
そう思うんです。
ひとのこころに
残るなにかを与えることって
なによりも尊いことに思えます。
そしてその集まりは
いろんな部署のいろんな方々で
普段絶対に一緒に集うことのないひとたちで。
それがまた私にとっては
とても大切な場所になっているんです。
年に一度、上司によってつながれる輪でもあるというか。
どうしてましたか?この1年
で始まる輪でもあります。
今年もこの呼びかけをする時期となり
コロナ禍では、集まれず、
彼のご家族にお花をお送りするだけだったので
(これもすごいですよね)
久々、みなさんに会えることになって
とても楽しみでもあります。
そして思い出す上司のこと。
母じゃないけど
あちらで待っていてくださいねと
さびしくなりますがまた会いましょうねと
そんなことを思うワタシです。
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