ママ友話はまだつづく~。
また別のママ友に
これまたひっさしぶりに会いました。
保育所ママ友やから
近所に住んでいるし家も知っているんだけど
その家の前を通るたび
あ、元気かな~
って思いながら
一瞬昔を思い出しながら通り過ぎるっていう。
本当に保育所ママ友は
不思議な戦友たちです。
彼女はとっても自立していた
そう。
このママ友は
もともと、
すごく自立してました。
というか、親離れ、子離れがしっかりできているというか。
ムスメさんばかりというのもあったかもだけど
一緒に出掛けたり
一緒に過ごすことも多いけれど
別々の行動も多くて
私や仲良し友のように
子どもの送迎したりとか
そんなことは全然なくて(笑)
まぁ車の運転しないというのも大きいと思うけど。
けっこう、週末にひとりで出かけることも多くて。
たま~に会うと
いま、おひとりさま温泉一泊旅行からの帰り!
とか(笑)。
沖縄の孤島にひとりで行ったり。
休みの日は音楽だジムだとあちこちにレッスンや運動に行ったり
おひとりさま京都観光なんかも行ってたな~。
お酒が飲めるので
お友達と飲みに行くことも多かったようで
同居のムスメさんたちとの関係も良好だったし
なんだか理想的だな~
と思っていたんです。
保育所ママたちは、
そもそもがっつり働いてる人たちが多いので
前提条件として似ているってところがあって
子どもたちも
親がいつも家にいない、
ということに慣れている
というのがあって
だからこそ、行動パターンが似ていたり
考え方が似ている人たちがそもそも多いんですよね。
にしてもだ。
私もひとりで映画に行くし
ひとりでレッスンに行ったり
一人行動は多いのだけれど
子どもたちが家にいる休日は
なんとなく予定を入れづらい(入れたくない)ところもあったりして。
そのあたりはそれぞれで価値観が違う部分であって
どっちがいい悪いってなくて
自分が好きなほうを選択すればいいだけの話で
お互いのやりかたを、ソレイイネって
距離を持って認め合っていたように思うんですよね。
とまぁそれはそれとして彼女の話。
そんな彼女は、お子さんとすごくいい距離感を持てていると思うし
それはそれで子どもも
安心して羽ばたいていけるだろうな~
と思っていたんです。
そう。ずううううっと前にブログに書いたことのある友達で
お子さんが大きくなったときに(高校卒業だったか、成人式だったか)
「おかあさん、これまでありがとう。
私には、『ほったらかしじゃない自由』があった」
って言われたって聞いて、
いやまさにそうやなと。
彼女は、とても自由に
子どもたちの意志を尊重して子育てをしていたけれど
いつも必ず寄り添って
丁寧に話を聞いていたよなぁって
そして子どもはそれを
きちんと見て感じていたのだなぁと
感動したのですよね。
「自由」にさせてもらったけどそれは
「ほったらかし」の「自由」ではなかったよね、
いつも寄り添ってくれていたよねと
子どもはちゃんと感じていたのですよね。
そんな彼女は、うちの我が子たちが
いろいろな問題を起こして心配しきりの私に
必ず
「ええやん!!!ええわぁ~Mくんおもしろい!」
ってめっちゃ笑って受け止めてくれていた・・!
常に肯定してくれていた・・!!
一緒に、心配だね、と受け止めてくれたというよりは
心配することないやん!ええなぁ!その生き方、ええよ!
って受け止めてくれたっていう。
そう言われると
ああ、これもまたひとつ
自分の価値観のなかではありえないけど
ひとつの生き方でもあるのかも?
って思えたことを思い出したり、ね。
だから、彼女は、そうやって子どもをきちんと見て
しっかり受け止めつつ
自分の人生を生きていたんですよね。
そんな彼女が
そんな彼女から久しぶりに連絡をもらって
飲みに行ったわけですが
よくよく聞いてみると
お子さんが家を出ていき
一人暮らしを始めたとのこと。
1人は以前から出ていってたのですけど
もう1人が出て行ったところだと。
まぁ彼女の生活を時々聞く感じでは
平日は働いて
土日は自分の趣味や行きたい場所に行って
好きに生活していたし
お子さんはお子さんで
仕事もして、自分の世界も広がり
夢をかなえて自立していたようで
出ていくといっても遠くでもないし
そんなに生活にも影響はないんじゃないかなと
想像していたんですが
話を聞いてびっくりでした。
彼女自身も
ムスメさんの自立を喜び
引っ越しも手伝って
よっしゃ~完了!
と帰ってきたそうなんです。
そして、次の日の朝に異変は起きたそうで!
朝、起きたら、
まず、起き上がれない・・・。
あれれ?自分どうしちゃったの?
と思いながらなんとか起きて
リビングに行くと
ムスメさんがいつもすわっていた椅子をみて
ああ、ムスメはもういないんだ、
と思う・・
そう思った瞬間に
自分の中でなにかが重くのしかかってきて
なにもする気が起きず
とてもしんどくなってしまったんだって・・。
自分がどうなってしまうんだろうという不安が
急にのしかかってくるほどに
動けなくなりそうな異変が身体に起きてしまったそうで。
その足で、お医者さんやカウンセリングに行ったそうで。
そのあたりはやっぱり
仕事柄、知識があるから
「この私が!」
「子どもがいなくなったからではない!」
「大したことない。一時的な感情よ!」
とはならずに
直感的に、これはヤバイ、
と思ったんだなと思います。
子育てのこと
結果、身体の病気みたいに
「ハイ、これ原因ね!」
ってことはないですから
これ、というひとつの原因でなく
複合的な問題だということのようですけど
ひとついえるのは
彼女の中で
子育てというのが
そこまでに大きい割合を占めていた
ということなんだということでした。
そこまでに大きなものが
ひとつ終わった、
ということを
心でなく身体が感じた、ということ。
やっぱり自分の心の中は
自分ではわからないもので
身体に異変が起きたことで
あ、心になにか起きている、と気づく、
そんなことのほうが多いのかもしれません。
なにより、
ママ友の中で一番早く
子離れ親離れをして
自由に生きている、
きちんと自分を楽しんで生きている
と思っていた彼女が
自分でもそう思っていたのに
実は
子育てがとても大きな人生のテーマとして
自分の中にあったのだ、
ということなのだろうなと
思った次第です。
親離れも子離れもしているのは
本当にそうだと思うのだけれど
そういうことと
自分の気持ちの中で起こることは
また別ものだったりするのかもしれない
ということを教わりましたね。
親離れや子離れしていてもしていなくても
こういうふうに感じる人がいたり
ちがうふうに感じる人がいたり
本当にひとって百人百様だなってね。
そんなふうに思いました。
彼女のすごいところ
彼女のすごいところは
こういうことがわかったときに
子どもたちにも話すし
友達にも連絡して話を聞いてもらったり
そういうところができるところ、です。
子どもだからとか
心配かけるかもとか
そういうことでなく
お母さんは今こんなふうに感じているんだと
ちょっとしんどいなと感じてるんだよと
自分でもびっくりしたよと
言えるところが本当に素敵です。
ムスメさんからは
「お母さん、私はお母さんから、
これまでたくさんの愛情をもらったよ」
って返信がきたそうで、
もうそれだけで泣けるやん。
親って誰も同じ気持ちです。
いやほんまな、そこは本当にそう。
この世に存在しなかった我が子を産んで
そして親も新米ながら
必死に育てて
その子どもたちが育って
なんだかんだいろんなことがありながら大人になり
そして、巣立って行く。
親は、本当に
見返りのない
無償の愛を子どもに注ぎ続けて。
いやこんなこと
自分にできるんだなって
そんな風に感じながらね、
ここまできたよね。
子どもがきちんとそれを感じてくれて
たくさんの愛情を注いでもらったと
伝えてくれる、
伝えられる、
そんな関係ってなんてステキなん。
自分の母を思い出す
私はまだ
ムスコも家に帰ってきて
ムスメはまだまだすねかじり
家を出ていく気配もないけれど
(ムスコは来年出ていくけれど)
いざそういうときがきたら
そんなふうに感じるのかなぁどうなんだろうと
それは実際にそうならないと
わからないなぁと思います。
そういえば、叔母が言ってたけど
私の母も
私が大学で家を出てこっちに出てきたとき
「空の巣症候群」になってたらしいわ。
と言ったら友達は
そんなころからその言葉ってあったん!!!?
とびっくりしてました(笑)
あったあった。
そして、母のそんな気持ちをひしひしと感じた私は
自分が家を出ていく寂しさより
親の寂しい気持ちを想像して泣けるっていう。
本当に涙が止まらんかったんですね~。
子どもってそんなもんだなと思います。
母は、大学に行って留学した私を見て
自分も中国語の勉強を始めて
必死に毎日ラジオ講座を聴いていたのだと
叔母に聞きました。
でもねわかるねん。
自分の人生の中で
子どもに出会った以上に大きいこと
それ以上に幸せなことってなくて
もう彼らが大人になったことで
自分も子どももよく頑張ったと(笑)
ああ、こんなに幸せな気持ちをありがとうと
もう私のことは忘れて
自分らしく羽ばたいていっておくれと
そう思いますからね~、ほんと。
それが実際に家を出ていったら
同じように感じるのかもしれないです、うん。
彼女は、それから毎朝起きて
ムスメさんの座っていた椅子をみて
「ああ、いないんだなぁ。」と思うんだそうです。
きっと私も、そうかもね。
いつだったか一人暮らしの祖母の家に行ったときに
よく感じていたんです。
私が小さいころ、遊びに行った祖母の家には
祖父もいて、
曾祖母もいて、
叔父もいて、
母やまた別の叔父たちの家族も集まったりして
本当ににぎやかで
ああ、この家は、
最初は祖父と祖母と曾祖母が住んで
そのあと子どもが5人産まれて
にぎやかな年月を経て
1人出ていき2人出ていき
曾祖母は亡くなり
祖父も亡くなって
祖母はひとりになったんだなぁって。
人生ってそういうのものなんだなぁって
初めて感じた瞬間でした。
いや~私たちはほんと
人生最大の大仕事をなし得て
家族の形がどんどん変わって
でもそのときどきを精一杯に生きている・・!
だから寂しさも感じるし
幸せも感じる。
なんて人生って偉大なんやろう。
友達と話しながら
いろんなことに思いを馳せるワタシでした。
友達の話を聞くつもりが
私のマシンガントークも聞いてもらって
また彼女との絆が強くなったように思いました。
今日も彼女は頑張っているかな。
また会って子育てを語ろうね。楽しみに、してます。
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