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父の命日に

父の命日に こども・家族

先日、父の命日でした。

ムスコが10歳のときだったので
もう16年とかたつのですね~早い。
あのときたしか父は74歳で
母は69歳だったんだなぁ~と
改めて思いました。

てことは
ムスコが産まれたのは
父が64歳で母が59歳のとき・・!
なんと~私ももうすぐおばあちゃん!
という歳なのですね・・。
感慨深いです。

女性は強い

いや~
夫が亡くなっても、女性は強いと言われますけど
母は相当落ち込んでましたね。
父母はとっても仲がよかったので
余計でしょうね・・

父が亡くなってしばらくして
田舎から大阪に出てきて住むようになったんですが
最初は鬱々していたみたいで
まぁ私的には
長男が4年生になるところで
学童がなくなる!どうしよう!
の局面だったので
とっても助かりました。
いやほんま。

お父さん、見とったん!?

と思うほどのタイミング( 一一)
毎日、学校から帰ってくるムスコを
家で迎えて
「おかえり」と言ってもらえる・・
本当にありがたかったことを覚えています。
それまではほんま
習い事毎日入れて
シッターさんに頼んで
なんのために働いてるねん(出費かさみすぎやし)
という状況でしたのでね。
保育所とちがって
小学校は
心のケアがそこまであるわけでもないので
ムスコからたまに
「友達とケンカした・・」
って大泣きして電話がかかってきたり
いやもうほんとに
申し訳ない気持ちでいっぱいになったり
私自身、ホントに仕事を優先していいのだろうかと
悩む日々でしたからね・・

会社で、若い子を見ては
「お母さん働いてた?」
「小学校のころ、寂しくなかった?」
とよく聞いてました(笑)
ある若い男の子が
「僕、母が働いていて
家で一人のことは多かったんですが
家で夕日をひとりで見るときが一番
すごく寂しくていやでした」
って言ったのを聞いて
はっ!!!
として( 一一)
そうだ、私的には頑張って
16時や17時に退社して帰ってるけど
それまでの時間が大事なんだなぁ・・
と思ったり。

ほんと、いろいろ思うところ多い時期だったので

母がコチラに来てくれたのは助かりました。

だんだんと

そして母も最初は鬱々していたものの
元気な孫たちに囲まれ
少しずつ元気を取り戻していったなぁ・・
と思います。

最初のころはムスメの
自然学校に一緒に連れて行って
自然の中でぼーっとしてみたり
子どもたちが大根を育てて引き抜いているのを見たり
折り紙遊びしているのを見たり
そんなことも一緒にしてましたが
いまいち元気にならない母を
心配してたんですけどね。

そのうち少しずつ元気になって
あちこち出歩くようになったりして
なんだか知らぬうちに
みちがえるようになりました。

ある日、

「おばあちゃんは今が青春やな!」
と甥っ子が言ってるのを聞いて
確かに!!!
と思うほどには元気になりましたね。

母はずっと嫁いでから
お寺の仕事で毎日毎日休む間もなく
大忙しで
その上姑いびりにはあうし
父と仲がよいことだけが救いでしたけど
母がなにかを「楽しんでいる」様子は
確かに見たことなかったな・・・!!!
と思いました。

子どもの成長だけが楽しみだったように思います。
だから、子どもが巣立ったときに
「空の巣症候群」になってしまって
とっても寂しそうだったんですよね。

そしてその後、こうやって父に先だたれ
母は何を支えにして生きていいのか
わからなくなったのかなぁ・・・
と思います。

そして

そして父が亡くなり
こうやって16年たって
なにかあるたびに

ハハ
ハハ

お父さんにお供えしとく!

と言って、
押し入れの一角に作った仏壇もどきの父の写真の前に
お供えしていたりするんですが
でも、母はそれなりに
自分の生活を楽しめるようになったなと
思います。
(腹は立ちますけど)
よかったなぁ・・と思っているんです。

で、先日、父の命日だったので
それこそ、父にお供えでも、と思って
母の大好きな「たねや」の和菓子を買って
仕事帰りに母にもっていったんです。

するとなんとなんと。

makko
makko

お父さん、命日やろ?お供えもってきたで~

と言ったら

ハハ
ハハ

え!今日やったかいな?

って~~~!!

まじで!?
いや~16年もたつとこうなるか(笑)

で、その後
お供えしたよ、ありがとう、というLINEがきたんですが

そのLINE

ときました・・・・
ロペスってなにロペスって・・・・

相変わらずつっこみどころしかない母なのでした。
ま、元気でなによりです。

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