最近、久しぶりのママ友から
たま~に連絡があったりします。
お茶でもしよう!
とか
飲みに行こう!
とかなるんですが
そこそこ仲がよかったママ友だったりするので
何年ぶりでも何の違和感もなく話せます。
不思議なもんです。
保育所のママ友はとくに
仕事、育児、を一緒に乗り越えてきたから
けっこう戦友みたいな感じで
特に仲良くなれるんですよね。
お互いのムスコの話
1人の友達は
私と同じ
ムスコとムスメがおりまして
ムスコは同じく社会人。
ま、うちの子とちがって
賢いし大人だし
いつまでもポケモンカード集めていたりしないし
しっかりしてはります。
とはいえ
やはり異性だからかもしれませんけど
私たち親からすると
えええ?どうして?
と思うような思考回路というか
行動の意味がわからん!
みたいなことが多いです。
これはもうほんと、しゃーないね。
なぜかもよくわからん
意味不明な行動ってのは
あんなにしっかりした大人な彼でも
あるのね、って思いつつ
話を聞いてました。
でも、
思いがけない行動だし
理解不能、予測不能だからこそ
おもしろかったりするので
こんなんあってさ!
あんなことしててさ!
そんなこと言われてさ!
が面白くて
ついついお互いにあれこれ話が長くなってしまいます。
ほんと、それぞれの道をゆくムスコたち
会社でちゃんとやれているのか
が目下のところ母たちの疑問ですが
まぁそれなりに。
やってるんでしょう。
問題はムスメ。
いや~そして問題はムスメです。
お互いに。
年齢は違えど
ムスメの悩みが似てました(笑)
ムスメは本当にひとそれぞれで
ええ~、うらやましい
むっちゃええコやないの!
ってケースもあるんですが
彼女のムスメとうちのムスメは
いく道は違えど
結構似ているところがある~!!!
ってことに気づきました。
家では奔放、
家では性格に難あり、
家でというか、
そもそもものの考え方はそれでいいのか的な?
きっと彼女と私の感覚が
どこか似ているところがあって
価値観が近いのだと思うのだけれど
だからこそ
そこからすると考えられないムスメたちの行動に
少々眉をひそめながらも
どこかうらやましいと思っているのかもしれません。
あ、そうだ、そうなのかも。
こうやって書いていて気づきます。
やる気がない。(ように見える。)
似ているのはきっとココです。
我が家のムスメは
いやいや同級生はめっちゃマイナビ見てるころちゃうん。
黒いスーツ着てインターン行ったり
説明会行ったりしてるんちゃうん。
っていうこの時期に
インフルにかかったのはしゃーないとしても
朝から晩までバイト入れたり
旅行だごはんだと友達と遊びまわっていて
(ほとんど友達は社会人。)
いやもうどうよ。
自分の将来どう考えてんのよ?
ってところが
親としてはもうイライラするし心配やし
はぁぁぁぁ、という毎日なんですけど。
彼女のムスメさんはムスメさんで
秀でた才能があるんですけど
一度は大学受験をする気になったものの
なにか理由があったのか
直前で受験をやめると言い出したそうで
実際に受験しなかったと!(受験料もきっと支払っていた)
浪人するのかなどうするのかなと思っていたら
通信制の大学に行くことにしたと
そして通信制に入り
学校には行かずオンラインで授業を受けているそうで。
いろいろ心配しているところに
たまたま、その通信制で教えているお友達と話す機会があり
いやもうその考え方古いよ?
通信制にはいろんな子が来ている。
今は、いろんな才能のある子がいて
オンラインで学ぶ時代。
学力でいったら、相当高くて
名前の通った大学に行けるような子もいっぱいいる。
昔の通信制の大学とは違うんだよ。
というような話をされたそうで。
うん。つまり。多様性の時代ということですかね。
話を聞いていると
やはり、親というバイアスがかかるので
彼女のムスメさんも
やる気がなくて
なに考えてるかわからなくて
ひと昔前の「受験のために頑張る!努力する!」みたいなものが見えなくて
楽なほうに流れているようにみえて
自分のことなのにどうでもいいと投げやりで。
そういうふうにきっと親は見えているけれど
子どもは子どもで自分のことに投げやりなわけがなく。
ただ、
私たちの価値観として
「一生懸命が正義」
「頑張るという過程があれば結果は失敗してもよし」
「自分のやりたいことを見つけてまっしぐらが美しい」
というものが
やっぱりどこかにあるんじゃないかと
なんだかハッとしましたね。
ムスメたちのように
投げやりにみえて
やる気がないようにみえて
なにかに「一生懸命に努力する」が見えなくても
それがあかんと誰が決めた?
それが心配のタネになると
勝手に思い込んでいるのは
親のほうなんじゃないかと
思ったんですね~。
やっぱり、
一生懸命に努力する姿、が見えて
勝手に安心するのは親のほうの都合であって
そればっかりが正義じゃないよという
そういうことなんだなってね。
私自身も
子どもと私は別人格だから
子どもがどう生きようが
口出しはすまいと
好きにさせたほうがよいのだからと
そう自分に「言い聞かせて」いたけれど
やっぱりどこかで
自分の価値観通りにいかない子どもを心配して
どうなんだよこの態度はと
「勝手に」イライラしてたんだなぁと
思い知りましたよ。
本当に親って勝手なもんです。
自分の価値観からみると
おいおい大丈夫かいなと
思うようなものが外側に見えたとしても
彼女らの人生において
彼女らの価値観の中で
懸命に生きていることに変わりはないのだなと
そう思った次第です。
「名の通った大学に行かず通信の学校に進学して」
「インターンを血眼になってさがさず遊びほうけて」
怠惰でやる気のないように見えるムスメたちが
本当に「怠惰でやる気がないのか」なんて
私たちにはわからないし
ましてやその
「怠惰でやる気がない」がその通りだったとして
それのどこが悪いのかと。
そういう時期もあるし
そうならざるをえない状況かもしれなく
その過程がなければ先がないのかもしれなく
こんななかでこそ見つかることもあるのかもしれないと
そこまではなかなか思いづらい親心よ。
でもきっと
そんななかに人生の真実はあるのかもしれません。
いずれにしても
親はとにかく
自分の経験の中で培った視野しかなく
またやっかいなことに
他人の子なら
「いいやん、自分の道を歩いているやん。
笑顔で生きていてくれたらそれでいいねんし。
好きなことをやれてる幸せってあるよ。」
と本気で思えるのに
自分の子には全然思えないという不思議よ!
いやまじで!
と、そんなことを改めて気づかせてもらった気がしましたよ。
本当に人と話すってことは
気づきがありますね、毎回。
ハッと気づくと何時間も過ぎていて
お互いに、
あ、ばんごはん、ばんごはん・・
ってお互いの家に帰っていくという母たちよ(笑)
私たちはともに成長するのだなぁまだまだ(笑)。
ありがたきママ友。
戦友よ、また会おう!と思いながら
家に帰り着いた私なのでした。
コメント