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就活の時期に思うこと

就活の時期に思うこと こども・家族

ムスメはいったいどうするんだ問題。

大学3年生で
まわりは就活中。

本人は大学院に行く!と言ってますが
たま~に

ムスメ
ムスメ

就活しようかな~

とか言ってくるときがあって

はぁ???

と思ったりします。

このまえこれをムスコに愚痴っていたら

ムスコ
ムスコ

いやその程度の気持ちで

大学院って言ってるんやったら

学費もったいなくない?

ないやろ!

って。

ほんま、それな。

おっしゃる通り。

ムスメの複雑な気持ち

ほんまに難しいんっす。

ムスコの言う通りなんですが
ここで私が

makko
makko

待ってや~

大学院にどうしても行きたいんじゃなかったら

行かんでええやん!

とでも言おうもんなら

いきなりスネスネモード、キレキレモードになり

ムスメ
ムスメ

わかったわ!

じゃあ行かんかったええねんな!

大学院に行ったらあかんってことな

ママが決めるんやな!

とか言うんですよ。
わかりきっているこのパターン。

要は

本人もぶれている。

本人も悩んでいる真っ最中である。

これは事実としてあって

自分でもどうしていいかわからんのです。

どれも正解な気もするし

どれも不正解な気もする。

思いつきがまったくないとは言えない(と思う)けれど
軽い気持ちばかりで言ってるわけでもない。
しんどいことの防衛だったりもする。

だからそういう言葉を
出せるということ
そこを封じてしまったら
彼女がそれを出す場はなくなってしまうともいえる。

ムスメ
ムスメ

もうええわ!

以上。

っていう。

自分の将来について
いろいろ考えているけれど
どれもいまひとつ現実として考えられないような

そんな感じなのかな~
と思います。

まぁもちろん、
誰しもそれはあるし
むしろそっちのほうが多いと思うんですがね。

就職に強い大学もよしあし

ひとつ思うのは、
大学院に行くか就職かはともかくとして

大学の就職課のありかた、というものにも
ひとつ問題があったりもするんだなと

そこは見えてきた気がします。

ムスコとムスメの大学は
就職に強いとされて
就職率はめちゃくちゃ高いし
それなりに大企業に就職する人も多くて

知り合いの大企業では
「彼らの大学枠」というのがあるくらいに
企業には強いとされているんです。

大学の偏差値はさほど高くないのに

ここまで就職に強いというのは
確かに大学の努力でもある。

そして、ムスコの場合は
就職課というかゼミの先生に
いろいろ声かけしてもらったこともあり
就職課には
エントリーシートをみてもらったり
面接の練習をしてもらったり

ちょっとびっくりするくらいの
サポートがあって

ひとりで就職活動していたのでは
絶対に就職など無理だったと

本人も言ってるくらいに
サポート手厚く
ほんとありがたかったんです。

でも、ムスメの話でわかってきたのは

就職課を通さないと
学校の名前入りの履歴書がもらえないとか
企業を受けることもできないとか(できないことはないと思うけど)

そういうガッチガチのサポートの現実。

そもそも学校の名前入りの履歴書なんぞ必要なんか?

面接する側からしたら

makko
makko

へぇ~学校専用の履歴書とかあるんや~


って程度ですよ。いやほんま。

ほんで、エントリーシートをなおしてくれたり
面接の練習をしてくれたりするのは

ムスコのように
何もわからん

全然しゃべれん
ガクチカ(学校時代に力を入れたこと)何書けばいいかわからん
という子にとってはありがたいけど

ある程度自分の考えがあって
めざすところもなにかしらイメージのある子にとっては

それが弊害になったりする。

弊害というよりも
就職課の先生の価値観や方針や考え方が
基準になってしまっているので

本当にそれが正解なのか?

就職課の先生の考え方を基準にした
エントリーシートや
面接内容になってしまわないか?

ってこと。

ムスメ
ムスメ

私はあまり好きではない

あの就職課のあのひとに

気に入られないと、エントリーシートも出せない。

それが納得いかない!

それは確かに
ムスメの言うように
ちょっと疑問ではありました。

就職に強いという大学は
それが本当にいいのかどうか
本当に学生たちの
行きたいところに行けているのか

一歩先に進むと

そういう問題は確かにあるんじゃないかなと思います。

そもそも就職活動とは

確かに就職活動で
就職課で面倒みてもらうとか
私はなかったし

これも時代なのかなと思ったりしていたけれど
就職課を通さないと
履歴書がもらえないとか

エントリーシートを
就職課の先生になおされるとか

それも、てにをはを直すならまだわかるけれど

「もっとこういうことを入れたほうがいい」

とか

「もっとこの部分を厚く」

とか

それはやっぱり
それがいいときもあるかもしれないけれど
よくない結果にも絶対つながる。

そんな気がします。

実際に、面接をしている身からすると
ムスコがなおしてもらったエントリーシートは
おいおい、これはどうよ
と思うものであったことも確か。

会社によって、
そして面接官によって
人の価値観も考え方も
会社の方針もそれぞれなので

そのエントリーシートがはたして正解なのかどうか

それはほんまにわからんと思うんです。

就職課の先生方の努力は
もちろん生徒のためを思うのものであるはずで
ありがたいにきまってますけれど

ただ、彼らがどこで経験と知識を積んで
なにを基準にして
そこまでのサポートをしているのか・・・

疑問に思いました。

そもそも就職活動は
自分が働きたいと思う会社を
自分で見つけて
そして自分でアタックして
自分の考え方を伝えて
アピールもして
志望動機も自分の言葉で考えて

そして人となりをみてもらうというもの。

そこの言葉が
未熟であろうが
言葉足らずであろうが
その人本人のもっているものでないと
受けてもらう側からしたら
あまり意味がないのではないのかなと

私は思うんですね~。

自分が就職したときだって
いっぱい会社を受けるたびに
志望動機や自己PRはどんどん変わっていって

そこで自分を深堀りしたり
気づいていくこともいっぱいあって

面接官によって
選ぶ言葉も変わったりした。

その過程が
就職活動の意味のような気もするんですよね。

いまだにめちゃくちゃ覚えていること
めっちゃありますからね~

だから
なんかムスメの話を聞いていたら
就職活動とはなんぞやと
面倒見のいい学校というものの意味とはなにやろと
考えてしまいました。

そこで、
就職活動するためには
あそこを通らんとあかんと思ったら
いま、就活する気になれんという
ムスメの中にそういう気持ちがあるのもきっとほんとで

それが大きい部分を占めているのなら
なかなか由々しき問題やなって

めっちゃ思いました。

いやほんま。

3月に入って公に就活スタートとなって
ムスメはまた揺れ動くんだろうか。

どうするんだろう。

遊びまくっているようにみえても
将来を考えない人はいないわけで
ムスメもいろんなことを考えながら
これからを過ごしていくんだろうなぁと思います。

それがどんな選択をすることになっても
失敗というものは絶対にない。

だからどんな紆余曲折も
少し離れて
見守れたらいいなぁと思う

今日このごろなのでした。
いろいろあるねぇ子どもが大人になっても。

自分の思い

企業によっても違う

企業が合うかどうかをみている

面接官として

阪大生

自分のヒストリーからみえてくるものがある

自分がのりこえたのはどういうことがきkっかけか

どういうことがあって自部がかわったのか

なにかきっかけがあるはず

そこの具体的な事実w経験を話す

なぜですかときく

そこを答えられるようになったらどこでもうかる

学校名の履歴書じゃなくても全然うかる

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