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コロナ禍でムスメが一番楽しかったこととは

コロナ禍でムスメが一番楽しかったこととは こども・家族

書くことがめっちゃ好きやのに
何書こう・・・
って思うことが多くなったのって

やっぱりコロナで
ずいぶん行動範囲が制限されているからよね・・・
と、たまに思います。
もう1年ということになるわけですが

ダウンタウンのまっちゃんが
「ほんま、コロナでどっこも行かへんし
人と会わへんから
ネタがなかなか作れんのよね
って言うてたのはめっちゃわかる。
確かにその通りやんなぁ・・・
と妙に納得しました。

コロナ禍で考える仕事とは

まぁどんな商売もあがったりだよなぁ
と思います。

スーパーだけが通常通り好調なのだろうけど
コンビニや定食屋で働く我が子たちの話を聞いていると
どの業界も大変だなぁと
なにかしら生き残りをかけて
いろいろ検討しているのだろうけれど

どこも大変だろうな~
と思います。

これをチャンスとして
新しい働き方
新しいビジネス
に転向していく
ってよく言われるけれども
なかなか変化を好まない日本人には至難の業やし
アイデアを出して仕事していくということに慣れない
我々世代にとっても(てか私や私のような人たち。世代ではないな。)
キビシイ局面にあることは確かです。

私が働く会社の仕事は
コロナの影響は直接的には受けないけれど
でも、親会社の営業次第というところもあるから
全く影響ないなんてことはなく

しかも業界的には斜陽産業でもあるので
なにかしら生き残りの道を探していかなくてはならないのでは
とも思っています。

なかなかキビシイ時代です。

そして、これはコロナは関係ないけれど
いったん勤めた会社で
一生働くのをよしとするような時代は終わり
会社も副業を認める時代となりました。

副業を認めるということは
自分で食いぶちを探していってや、
会社がすべての面倒は見られへんで
自分でもがんばりや、
ということであって

いや~50代の我々は
いまさらそんなん言われても!
って途方に暮れているという

そんな時代です。

なにかしら自分に合った仕事をさがすことができる時代
ともいえるのかもしれませんけども。

コロナ禍でできなくなったこと

仕事もさることながら、
こうやってコロナ禍で
人とごはんを食べたり
人と一緒に出掛けたり、
一緒に過ごす、
ということが減りました。

会社に新人が来ても歓迎会もなく
長く働いた人が退職するときも送別会もない。
お昼ご飯は人と食べずに1人で食べる。
外食だって1人で。
帰りに人と飲みに行くことも
もう1年以上やってません。

人と話をしない、ということは
本当に、いい影響と悪い影響があって

人の意見を聞かない。
自分の意見も言わない。
つまりやっぱり
ストレスがたまる。

日々いろんなことがあって
話をして発散する。
そんなことがいかに多かったのかということを知ります。

そして食事を通して
ひととの距離が近くなったり
お互いを知ることで仲良くなったり
そういうことがいかに多かったのか
むしろそれがないとなかなか
新しく知り合う人と仲良くなるチャンスがないように思います。

ようよう考えると
ランチの時間に、
今はこんなん流行ってる~とか
こんなん買ってみてどうだった~とか
こんなんがマイブーム~とか
いろんな情報を交換して
なにかしら自分の視野も広がっていたように思うんですが
もうそれが一切ないですね。

いやほんま。

マスクをとって食事をするのは
ほぼ、家族のみ、となっていますから。
去年以降に入ってきた人たちの
素顔を知らなさ過ぎて
マスクをとった顔をたまたま見てびっくりだったり(笑)
きっとそれは相手も同じでしょう。

なんとも殺伐とした感じですけど

でも、ふと思うに、
一方で
わずらわしさからの解放もあって

そんなに必要やっけ?送別会。
とか
話をするのもけっこう緊張するよ?歓迎会。
とか
そんな会社の会合も
私はもともとそんなに好きじゃなかったんだな~
ってことに気づいたりもしました。

ひとと話すのも出会うのも好きだけど
なにかしらわずらわしさも伴うという
そんな相反するものが自分の中にあったんだという
驚きの事実にも気づきましたね。

先輩たち、後輩たちと、飲みに行く!とか
なにかしら誘われて飲みに行く!とか
そもそもそういうことも
けっこうめんどかったんかな~
そんなに好きじゃなかったんだな~
ってのは
行ってるころからちょっと思ってはいたけれど
やっぱりそうやったんや!ってね
気づきましたよ。
そもそもお酒飲まないしね。
余計にそれはあるのかも。

コロナ禍で気づいたこと

コロナ禍になってから
仲の良い近所の友達と
毎晩1時間ほど歩くようになって
夏になったらプールに行ったりもしてたんですが
最近はお互いになにやらいろいろ忙しくなって
毎晩でもなくなったんですけども
いまだに行ける日はお散歩に行きます

私にとっては、
この仲良しの友達とも
近所でありながら
お互い仕事もあるし忙しくて
なかなか会えることもなかったんですが
しょっちゅうお散歩に行くようになって
お互いの状況をいろいろ話すようになり
たま~に会って「どうしてる?」じゃない会話っていうか
「例のあの件さ!ダンナがこんなふうに言うてきてさ!」
とか(笑)
「子どもの就活こんなでさ!」
とか(笑)
リアルタイムで情報交換をして
いろいろ話をすることで
ずいぶんストレス発散になっていたな~
と改めて思ったりして

家族以外で話すのは
彼女くらいやったからね。ほんま。

彼女との距離が近くなったこと
なんでも話せることで
ああ~こんなふうに話せるひとがいてくれてありがたい
と思うようになったりしてたんですが

先日ムスメが言うてたんです。

ムスメ
ムスメ

なんかさ、こんな暇な夏休みなくてさ。クラブも無理で
合宿もなくなって、なんも予定なくなってさ!

でもさ、去年の緊急事態宣言出たときさ、近所の友達と毎日毎日、近所の公園で待ち合わせしてさ、あちこち歩いてどこまでも散歩してさ~、ものすごい遠くまで散歩して、いろんな道やお店や公園やいろんなもの発見してさ、どこまでも歩いてどこまでも話をして、帰ってきて、昼ご飯は各自家で食べて、また、そのあと集合して、またお散歩してさ。どっこもお店は開いてないし、行くところもないしさ、結局、歩けるところまで歩く、っていうのを来る日も来る日もやっててさ。

今思うと、あれが一番楽しかったなぁって思うねん。

みんなとも話してるねん。

結局、どっかに旅行行くよりも、おいしいもん食べに行くよりも、クラブの合宿行くよりも、なによりもあの思い出が一番楽しい思い出やなって

ずうっと「話をして歩く」しかすることなくてさ。

でもこんなんもう一生ないことやんな?
今後こんなことってきっとないし、こんな時間もきっとないやんな。

結局のところ、あれが一番楽しかったなぁって

今思い出しても思うし、友達ともしみじみそう言ってるねんなぁ~。

って。
しみじみ。

なんか笑ってしまったけど
でも、大学生は何もできなくて、
留学もできなければクラブもできなくて
かわいそうやなぁって
それをすごく思っていたけれど

彼らは彼らなりの楽しみを見つけて
かけがえのない時間を過ごしていたんだなぁって
なんだかじーんとしましたよ。

ようよう考えると私も
来る日も来る日も友達と同じ道を歩き
毎日歩いてもまだまだ話したりないことばっかりで
ひたすら話をして話を聞いて
それを繰り返していたあの散歩の思い出は
きっと死ぬとき思い出すんちゃうかと思うほどにかけがえのない時間で。

不思議なもんです。

なにが大事かって
なにが貴重かって
自分が意識的に思っていることと現実とは
実は違うんだってことがある
んだってことです。

「子どもたちに、楽しかったなぁという思い出を!」
「子どもたちが一緒に旅行行ってくれるのは今だけやから
ちょっと無理してもみんなで楽しい旅行をしよう!」
なんて

そんなことを割と真剣にずっと思ってきたけれど

子どもたちが将来思い出すのは
実は家の食卓だったりするのかもしれず
ああでもないこうでもないと
リビングでごろごろして語り合っている我々家族の姿だったりするのかも。
誰がソファでごろんとするか、ソファを全力で取り合ったり(笑)
お風呂に入るのを先延ばししたいために無理やり譲り合ったり(笑)
みんなで一緒にM-1を見てあーだこーだ評論しあったり(笑)

それが子どもたちにとって一番の
家族の思い出」なんかもしれません。

コロナ禍でわかったことは
特別なことだけがスバラシイことではなくて
特別なことだけが幸せの象徴でもなく

ただ、目の前に気のおけない関係のひとがいて
ただ、思ったことを話すことができる、
幸せは全然特別なことじゃなくていい

っていう
すごいことに気づいたんじゃないかって
そんなふうに思います。

いやほんまそれな。

大阪はまだまん延防止が続くそうですが
まちなかは人がいっぱいで
どうなんだろうかと思ったりしますが
コロナが収束するなら収束するで
こうやって知ったことは大事にしたい
これからの生活は激変するのかもしれません。

実際、会社でも、
リモートでするほどじゃないし、やめとこか、
って、やらなくなった会議がめっちゃありますしね。

全世界がおなじタイミングでこんなふうになることなんて
ほんと、もう生きてる間にはないようにも思いますから
ここで得た教訓は
大事にしたいなと思う今日このごろ。

しかしいつ収束するんかね。
神のみぞ知る。ってとこなんでしょうけど。

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