しかしですね
ムスメの一人暮らし
もろもろ準備をしていて
自分のときのこと
やっぱり思い出しますね~。
高校卒業して家を出る
私の田舎はみんなこういう感じでした。
といっても、田舎すぎて
地元から出してもらえない友達も多かったんですよね。
京大受かるよ、と言われていた子も
地元の国立大学に行ったりね。
そんな子はめっちゃ多かったです。
すごくすごくできる子も
地元の国立大学の医学部、とかね。
地元の国立大学の医学部行った子は
おそらく10人くらいはいたので
ある意味すごいですよね・・
そんななか、私は
もちろん地元でもいいけど
関西に出ることは当然よしとされていたので
今思うとありがたかったです。
母が大阪出身ということもあるし
父も大阪で働いていたということもあるかなと思います。
あ、祖父も奈良出身、祖母も大阪出身でしたしね。
なぜあんな山陰の田舎のお寺だったかというと
祖父が小さいころ身体が弱くて
奈良のお寺でお世話になっていたときに
「山陰に廃れかけているお寺があるから
あそこは空気もいいし
そこのお寺を立て直したらどうか」
と言われて、
山陰のお寺に来ることになった
ということのようでした。
なので、別にご先祖の時代から
あの場所に住んでいたわけではないんですよね。
そこで、お見合い?して
大阪の祖母と出会い
祖母もついていったということらしく。
祖母はもうど田舎すぎてびっくりしたと
そういう話を何度もしてました(笑)
そしてまさかの父も
それこそ田舎の国立大学を出て
大阪に出てまず就職し
そこで母と出会って
その後、長男だからと
田舎に帰って教師をしながらお寺を手伝っていたと
そういう歴史なのであります。
そういう家だったので
高校を出て関西に出ることには
特に反対もなく
なんなら賛成派多数で(笑)。
姉も関西、私も関西に出たというわけです。
姉は国立大学だったのでお金もかからずでしたけど
私は国立は玉砕して私立大学だったのと
派手めの大学だったので(笑)
めっちゃお金かかったと思います。
しかも1年留学もしましたしね。
姉はこのあたりも、
不公平だな~
と感じていたかもしれません。(いやきっと。)
高校卒業して家を出る
なんせ、受験一色の高校生活でしたから
受験がやっと終わって結果が出たのが
3月だったりして
何の心の準備もないまま
あれよあれよという間に
引っ越しとなりました。
いや~ほんともう記憶にないんですが
何をもっていっていいかもわからず。
それこそ、高校時代、
土日に友達と遊びに行くということが皆無だったので
(田舎のまじめな高校でしたからね)
そもそも私服というものを持っていなくて
私服はどうしたらいいんだ?
状態だった記憶があります。
親と買い物に行って
親にすすめられるままに
なにやら絵柄が描いてある服を買って
友達にぷぷぷと笑われた記憶があります( 一一)
関西に出てきて
下宿というものに住み
一緒に住むことになった友達は
東京と広島の子で
私をみて、おいおいどうしたん
って感じだったのも覚えてますよ(笑)。
マハラジャがすごく流行ってた時期なので
マハラジャ行こう!
と盛り上がったものの
makkoちゃんは何着ていくん??????
と言われた記憶も( 一一)
ですよね~
マハラジャどころか
お店すらないような田舎の出身だったんですからね?
ともかくそんな感じだったんですが
家を出た日のことだけは
今もすごく記憶に残ってます。
何度か書きましたけど
父と一緒に車に乗って
母が見送ってくれて
母に手をふって母が見えなくなってから
父のとなりの助手席で
私は涙が止まらなくて。
自分が寂しいというよりも
母の気持ちを思って
どれだけ母は寂しいだろうと
それを想像するだけで切なかった・・・。
それだけ愛されていた自覚があったんだということでしょうね。
あと、それより前に
私が出ていくことになって
さぁ何しよう、となったとき
父がダンボールひと箱
私に渡してくれましてね。
そこには、独り暮らしに必要な最低限の小物が
たくさん入っていました。
何が入っていたか正直覚えてないんですが
そのダンボールは
父が、同僚(お子さんが一人暮らしされてる)に聞いて
必要なものをピックアップしてもらい
それを集めたものだったようです。
今みたいにネットでぴっと調べられませんしね。
姉と私も5歳離れてるから
もう何を用意したか忘れてただろうし。
その中に、工具セットがあって
「ナショナル工具セット」と書いてある
黒い革の入れ物のなかに
プラスマイナスドライバー等々、一式入っていて
(5~6本くらいね)
ああ、こういうものも必要なのねと
世間知らずな私はいたく感動しましてね。
父がいろいろ考えて、
こういうものを集めてくれたのだなと。
それを今も持っているんです。
そして、ムスメのために
東京でいろいろ買いものするとはいえ
一番最初に工具は必要かも(家具組み立てとかね)
と思い、
コーナンに行って
小さな工具セットを買ったときに
ふと思い出し
夫に、買おうとしている工具セットの写真を送り
「これでいいかな?」
と聞いてみたら、夫が
「ママさん(私)のお父さんがくれた
ナショナル工具セットみたいやな!」
って返信してきまして。
工具好きな夫にとっても
あの、小さな「ナショナル工具セット」は
すごく印象に残っていたみたいで
なんだかふっと
38年前のことがよみがえりましたよ・・・
もはや、夫とはほとんど会話もないですが
こういう話をふっとすると
ああ、なんだかんだいって
長く家族やってるんやな、
と感じる瞬間でした(笑)。
そうだ~
父が私にしてくれていた準備、
こんな気持ちでしてくれていたんだな~
って
ムスメがひとりで暮らすことを想像しながら
ひとりで買い物をしていて
父のことをすごく思い出しました。
ずいぶん前に亡くなった父ですが
私の中に父はしっかり生きていて
いつも、なにかあったら
父に話しかけている私がいるんですね~いまも。
なんやったら母より心は通じていたような気がしますから。
本当にやさしい大好きな父でした。
本当に今になってわかる
親の偉大さです。
こうやって子どもはいつしか親になり
また自分の子どもを見送っていく。
私の親ほどの愛情を与えてあげられたかな?
なんてことを考えながら
いろんな準備をする私なのであります。
あ~絶対泣くな~
4月になってしばらくして落ち着いたら。
いまでもすでに、だいぶ泣きそう(笑)。
オセンチmakkoが時々顔を出しますです。
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