ほんまに私はなめてました。
子どもと離れて暮らすということ
子離れするということがどういうことかということ。
やっぱり一緒に住んでたら
わかりませんよね~。
1、子どもと離れて暮らすということ
私が18歳で家を出たように
子どもはいつかは出ていくとわかっていても
大都会(私にとって(笑))大阪に住んでる以上、
子どもが出ていく可能性は低く
実際に大学も
自宅から通える範囲内の大学で
この生活がずっと続くと
やっぱり思うわなぁ。
諸行無常の鐘の音・・やのにねぇ。
世の中は諸行無常。
なにごともずっと同じように続くものなどないのに。
ムスコの就職が決まり
1年後にはもうおらんのねと思うと
いきなりセブンティーンみたいな(笑)
せつなさが押し寄せてくる~。
子どもは絶対に家からでたほうが
精神的に自立する。
自分がそうやったから
それはとっても必要。
大人になるうえで、その過程が大事。
そう思っていたから
遠くの大学に行こうとしたムスメも
就職は東京でも海外でもいい、と活動していたムスコも
ええやん、がんばれ、
と本気で思って見ていたけれど
結局は自分の気持ちにふたをしていただけで
本当の自分の気持ちは
やっぱり
寂しい。
それに尽きます。
以前、就職で東京に行く息子さんを見送った友達が
「駅でもう号泣しちゃって。
息子もね。
幼いころからこれまでのことが全部思い出されて・・・」
と何気に話してくれたことが忘れられず
いや、ほんまやなぁ、
ってね。
今になって思う。
2、18歳で家を出たときの自分の親といまのわたし
18歳で家を出たときに
自分がもう親の庇護のもとから飛び出し
ひとりでやっていくっていうことの心細さと不安と
そしてなにより
父は母が
どれだけ寂しい思いをしているかを思って
毎晩泣いていたあの春。
自分が思っていたよりもずっと
どんだけ父や母は寂しかっただろうかと。
「ああ~、出ていくんやねぇ」
「寂しくなるなぁ」
って
母が私に言った記憶はなく
それは絶対言わないようにしていたと思われるのだけれど
だからこそ親の寂しさを想像しすぎて
泣けて仕方なかった。
そんな経験をしているというのに
どんだけ私はあかんたれなんか
1年も前から
「ああ~もう1年後にはおらんのね~」
「ああ~一緒にごはんを食べる回数もあと何回~」
ってムスコに言うてしまうっていう
まじあかんで!
あかん母やとムスコはわかってるやろうけど
それにしたってや。
3、子どもへの思い
でもやっぱり思うんですねぇ。
大学で出ていくよりもずっと
就職で出ていくということはもう
一生一緒に住むことはないことが
ほぼ確定しているのだということ。
そりゃもう
自分のおなかの中で芽生えた奇跡の命が
この世におぎゃあ、と出てきて
かわいいかわいい赤ちゃんとともに
自分も母になり
母にしてもらって
目を開けて喜び
笑って喜び
声を出して喜び
泣いてすらかわいいと思う。
どんだけ楽しませてもらったことか。
保育所時代、
小学校時代、
中学、高校、大学と
「家族」として
どれだけの思い出を一緒に過ごし
家にはいつもこの子たちがいて
私はそれを励みに
毎日仕事を頑張っていた。
土日はどこにいこう
どこにつれていこう、
と
仕事しながら毎日考えて(笑)。
いろんなところにいったけど
私にとって一番大事だったのは
やっぱり日常やったよね。
日常の、
なんでもない、
その生活が
実はもうお金では買えない
宝物のような毎日だったということが
いま、わかるんですよね。
そして、それはあと1年で
形を変えようとしているのだということ。
仕事でしんどいときも
なにかしら悩んでいるときも
話をしてくれなくとも
帰ったら灯りがついていて
ごはん(今はほとんどちゃんと作ってないが(笑))があって
家族となにげない話をしたら
ちょっと元気になったりする。
私にとっての家族はそんな場所やから
子どもにとっては
親のいる家から出ていくことは
独り立ちをしていく上で、
大事なことやし
むしろ望んでいたりもするのだろうけど
親にとってはやっぱりここが
自分の作った人生最後の「家族の場」やから
日々の生活の形が変わる、
ということは、
本当に胸がしめつけられる思いがします。
4、最終、子どもに望むこと
そう。
これは、本当に、
前に向いて歩いていける喜ばしいこと、と思う気持ちも本当で
そしてこうやって
寂しい、
という気持ちも本当。
なかなかネガティブに思えて
言ったり書いたりできないけれど
でも、この気持ちもやっぱりホントで
これを乗り越えるからこそ
私も本当の意味で親のステージがあがるわけで
決して「ネガティブ」と否定すべきものでもないのかなぁ、
なんて思います。
ま、家を出てみたら、
「気にかけないとあかんことが減って
それはそれですっきりした!」
ってことになるんでしょうけど。
(複数母の発言(笑))
でもいったんは、
この思いをだれしも抱く過程があるのでしょうね。
というわけで、今日もムスコが
私が出ていくときに起きてきて
玄関で
「いってらっしゃい」
と見送ってくれたんですが
私が
「ありがとう~!ああ~・・」
と言ったところでムスコが
「はいはい、『1年後はもうおらん』なっ!」
って(笑)
言われました。
ほんま、あかん母っす(笑)。
笑ってもーたけどね。
とはいえ、おかんも元気でやっていくやろな、って
思えるような母でおりたい。
本当に思うのはもう、
出て行ったら、
親のことは忘れて
おったっけ?というくらいに
忘れてもらって
自分の人生を生きていってほしい。
それは、まじでそう思ってます。
てか、そこが一番の本質。
私は親にそうしてもらったから。
それで、親は大丈夫、と思えたし、
自分の道を羽ばたいていけたと思うから。
今思う、自分の親は偉大です。
父が亡くなってなお
いまだにどこかに元気でいて
見守ってくれていると本当に感じるし
父ならどうするやろうなぁと
どんなときも思うから。
ああ、いつも「やってみんとわからん!」
って言うてたなぁ。
やっぱ、そうよな!
なんて
そうやって心の中で
なにかしら大事なときに
支えられる存在になれたら
それはもう嬉しい限りですが。
すでになれそうもないですけど(笑)。
この春も、
お子さんが独立されたご家庭も多いのだろうな~。
春の青空が
すっきり気持ちよく、
私が大好きなんは
別れのあとの出会いがたくさんあったり
またそこにさらなる別れもあったり
でもその中で結びつくものがあったり
動きがあることを
思い出させてくれるからな気がします。
そんな春の日です。
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