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ブログを書く理由と昨今の炎上

ブログを書く理由と昨今の炎上 自分のこと

なんでこんなに毎日ブログ書いてんねん!
最近も自問しています(笑)。
いったいなんだろうか、
この執念。
もちろん好きで書いているにきまっているけど
人に読ませることが一番最優先ではないから(意識はしても)
読み直しもしなければ
誤字ばっかりでもとりあえず投稿する( 一一)

子どもたちもブログやってるの知ってても
アカウントを知ろうともしないし興味もない。
いったい何をモチベに毎日やってるんやろな?

まぁまずは見習いからだった

なんとなく「書く」ことは好きだし
基本、たぶん「発信」も好き。
若いころに、社内報の記事を書いてみ、と言われて書いて
ぼろっかすにけなされたので
文章のセンスがないこともは重々承知。
それどころか、説明しすぎたり、抜けてたりで
文章を読み違えられることも多い(メール)。
だから、こんな文章読んでわかるひと、
私以外におるんかいな、と正直思う・・

でも、それでも書いてる意味。
自分の気持ちを表に出すことで
なにかしらそこでストレスが発散されたり
もやもやしたりうきうきした気持ちを
自分なりに言語化できてそこに再発見があったり
そういうことだったのかなぁ・・
と思います。

あとは、私は、感じたことも経験したことも
すぐに忘れていく記憶忘却かなた型の人間なので
「今感じている」この気持ちを
書き留めておきたい!
ってのはあったと思います。

といっても、これだけ書いてると読み返すことあるんかい、
のツッコミありますけどね。

できるだけ頻繁に

そう、できるだけ頻繁に書くようになったのは

きっとシェリーさんの影響・・

シェリーさんのブログに出会ったときに(一方的に)
毎日毎日更新しているこのひとって
すごいな~
尊敬するな~
(しかも私みたいにどうでもいい話題ではない)
そして、
信頼できるひとだな~
と思ったのがあって

「信頼できるひと」になりたいな~
っていう気持ちがむくむくと芽生えてきたんでした。
誰に対してやねん?
と思うんですけど(笑)
でも、なにかを続けるということができたときに
自分が自分を信頼できるようになってる気もして。
というのと、自分の気持ちをどんどん言葉にしていったり
残していくということは
習慣になったほうがいい気がしてね・・

それなら自分で勝手に日記つけろやってとこですけど
日記は本当にいつも途中で終わってしまう・・
5年日記を何度かつけていて
3年くらいはつけていたり
とびとびで5年続いたこともあったけど
なかなか続かない・・
しかも、紙の日記て!
いやもう果たしてその日記をどうする?

今日死んだら、これ家族が読むん?
読まなかったらゴミ、読んでも恥ずかしい。
(記憶に新しすぎる。)

とも思ったり
結局、自分の気持ちを書き出すこと
書きとめておくことって
むっちゃ自己満足というか自己完結というか
そういうものだなと思って
そして、ネットに投稿しておけば
別に死んだら消えるし(これは有料レンタルサーバーですしね)
そして一応「発信」してるから
気持ち的になんとなく続く(笑)。
本当はめちゃくちゃネガティブなことも考える性格やけど
できるだけそこは出さんとこう、
と、自分をもっていける。

そういう意味では、
ネットの日記ブログってめっちゃええやん!
と思っているんですよね。
(正直、世の中の誰もがやったほうがいいと思ってる(笑)。)

知り合いが、
「facebookやインスタ、投稿しといたほうがいいよ。
とくに子育て中」
と言ってて
「あとで、アルバムになるから。自分用の。」
と言われてめっちゃ納得(笑)。

確かに~
アルバムはなかなか見直さないけど
facebookはいつもいつも
「8年前の今日」とかって出てきてくれる~。
それを見て、
ああ~こんなやった!
と思い出してにんまりしたりする(笑)。
あのころはよかったな~
もあれば
こんなこともあったな~
もあって
自分は少しずつ、時を刻んでいるんだということを知る。

うん、ほんと、そういう意味では
ネットというのは
ええとこあるよね~、と思います。

もちろん、私がネットリテラシーの低いオバハンなので、
ネットの恐ろしさも、デメリットも
全部わかっているわけではないですけけど
私の要望を満たす媒体としては最適だった
ということなんですかね~。

まぁいうても、
別にこんなアラフィフいちオバハンに
興味あるひともそんなにいるわけじゃなし(笑)
プライベートもいろいろ書きますけど
100年後にはもう誰もいませんからね~
ここにいてこれを読めるひと(つまりおとな)はみーんな。

両学長がよくこれを言うんですが
ほんとにそうだな~と思ってます。

とはいえ

ネット荒らしさんたちについては
思うところはあったりはしますけどね。

私は幸い、あまりそういうアンチコメントには出会いませんけど
(たまにはおるけど気の毒な方として完全スルー。)
誰でも発信できる時代だからこそ
あれこれ言ってくる人はいて
両学長のライブを毎日聞いてても
まぁ~いやなコメントする人はいてはるね?
ほんまにほんまに思うんですが
人に対して、ああいうアンチコメントするひとって
本当に間違いなく
200%、
しあわせではないひと、
なんですよねぇ。
幸せな人は人をいじめない、
っていうのは、宇宙の真理だと思っていて
ほんと、心がすさんでいるから
人を傷つけようと思うんですよね。それはほんまにそう。
自分だってそういうときは
そういう気持ちになることあるもん。

腹が立つとか悲しいとか苦しいとか
そういう「感情」を持つのは
不幸かどうかでなく、「感情」のひとつとして生まれてくるものだけど
そこから
「人を攻撃しよう」
「人にわからせてやろう」
「ちょっといやなこと言うてやろう」
「おまえ間違ってるでと言ってやろう」
そういう方向にいくのは
もう間違いなく、自分が幸せではないから
に他ならないんですよね~。
他人は他人でそれでいい、
と思えないっていう。

最近も、友達が
とある行動をしたことにより
アンチコメントを受けたり
無関心だったり
こころない反応をされたり
そういうことで落ち込んでいたけども

もうほんとにそれは

みんながアンタをうらやましがってるだけやで
って。
もうそれに尽きるな~
って思って、そう伝えましたね~。

なんか知らんけど、
ほんとに人間は弱くて
他人を傷つけることで自分を保つ
そんな瞬間があるのもほんとだな~って思うんです。

もちろん私しかりで。
そんなときは誰もある。

とはいえ。
実際に、相手を傷つけるのか
相手に心無い言葉をなげかけるのか
そこには一線があって
そこを超えるのと超えないのとではもう全然違いますよね。
そう思っても
そこを超えないひとは
客観的に自分が見えているけど
超えられてしまうひとは
それがやっぱりクレーマーとなって
世に蔓延っていくっていう。

ほんとにこれに尽きるんですけど
腹立つなら、自分発信ツールで発信しーや~!
人の家に来て、そこで発信すんのやめや~!
ただ、自分が不幸ってこと発信してるだけやで~!

ってね( 一一)

ただ、そういうひとたちの反応を
スルーすればいいねんけど
スルーできなくなるほどにも
集まって巨大な力になってしまうのが「炎上」で
それで人が傷ついたり自殺に追い込まれたり
自分の生活が変わったり
そうなってしまう重さよいかに。

いつも見るブログやyoutubeで
やっぱりいまだによく目にするので
なんだかなぁと思いつつ、
やっぱりネットなんかなかった昔のほうが
みんな幸せだったのかなぁと
思ったりもする今日このごろなのでございます。

とはいえ、私にとっては、
本当にありがたいツールであることは確か!
ですけどね。

こんなしょーもないどうでもいい話、
書ける限り、書いていこうと思います(笑)。

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