はい!
ムスコが就活を終えて
自分の就活時代を思い出して
いろいろと考えることも多かったです。
とりあえず、自分の棚卸。
一度振り返っておきたかったことでもあります。
ほんまにようやってたなぁ~若いころは。
こわいもの知らずやったなぁ~
でも、夢を絶対に実現するぞ!みたいな
強い気持ちがあったなぁ~
って思い出します。
テレビ局での仕事を振り返って
入社してすぐ
私が配属されたのは
制作部でした。
それまで、新入社員で
女性が配属されたことのなかった制作部。
男性陣はいきなり大学卒の女子が入ってきて
途方にくれていたと思います。
そりゃもう体育会系、
暴力も暴言も普通にたっぷりな
恐ろしくブラックな世界ですから。
最初こそ、
「〇〇ちゃん!」と呼んでくれていた先輩も
すぐに
おい!〇〇!
と呼び捨てになり
とにかく、絶対に逆らうことはできないという
すごい上下関係の厳しい世界に入ったんでした。
いきなり、歌番組や旅バラエティ番組のADとして
右も左もわからん中、担当することになって
先輩のおっしゃるとおりにあれこれやっていくんですが
基本は
見て覚えよ
の世界。
手取り足取り教えてくれるなんてことはあるわけもなく。
うまく段取りができず叱られ
粗相をしては恐ろしいほどの暴言を吐かれ
まぁ~
凄い世界でした。
そんなこと親にも言われたことないで!
なこともたくさん言われて
でももちろんコンプライアンスなんて言葉もなく
ただただ、
自分とはこんなにできない人間だったんだ
という事実に直面し
落ち込むことも本当に多かったです。
でも、
恐ろしい先輩方も実はみんなとってもあたたかく
ずっと会社にいて一緒にいるので
家族のような感覚となり
また、なにもわからん失敗ばかりの若造の私を
いつもしっかりと守ってくれて
叱りもするし厳しくもするけど
なにかあれば必ずきちんと責任をとってくれる。
本当の意味で、
信頼できる先輩ばかりで
何もわからん私を
実はとても大事に育ててくださった。
それは今でもしっかりと私の中に刻み込まれています。
時代もあった
今でこそ、あそこまでブラックではなさそうやけど
とにかくあのころはもう全然家に帰れず
ほとんどずーっと会社にいるわけです。
休みもないし、夜も18時になってから
やっと会社の中でじっくりと仕事ができるっていう。
昼間は外にロケハンに行ったり
電話対応しているのでね。
夜中にワープロで(笑)台本を打ちながら
FM802にリスナーとしてFAXを送って
ラジオで読まれたり(笑)
ラジオを聴きながら作業をしたり
夜中の編集はとにかく眠くて
ギリギリまで頑張って
社内にあるソファに仮眠をとりにいくのだけれど
そこにはすでに先客がいて
仮眠をとっているひとがいてるので
次に寝心地のいいソファを見に行き
また先客がいるので
次に寝心地のいいソファを・・・(笑)
そんなこんなでほとんど家に帰らずで。
とはいえ、あまり残業しても叱られるので
早めにタイムカードをおして
もちろん帰らず仕事をして・・
早めにタイムカードをおしても200時間の残業ってどうよ(笑)。
今じゃもうアウトやんね。
夜中3時に仕事を終えて
先輩たちとごはんを食べに行ったり
飲みに行ったり
そんな時間でも開いてるお店
そんな時間でも定食が食べられるお店
いろんなことを経験して
本当に濃い中身のつまった5年間でした。
失敗談だってもう語れば一晩ではおさまらんほどいっぱいあるし(笑)
海外取材にひとりで行かされたこともあり
行ったら取材拒否にあったりとか
財布を置き忘れて一文無しになって
出演者にお金を借りたりとか(笑)
ネットもない時代に
海外のカメラマンを探すのがどんなに大変だったかとか
もうどうやったかも忘れてしまったけど
今思えば
わたし、ようやってたなぁ~
と、つくづく思うんです。
まぁそういう時代だったということですかね。
朝方タクシーで帰ってシャワーをあびて
そのまま会社に行くことも何度もあって
でも、ちょっとの時間でも寝たいから
朝は自腹でタクシーに乗り、
30分だけでもタクシーで寝る時間を確保するっていうことも
何度も何度もありました。
タクシーの運転手さんも
お抱え運転手みたいになって(笑)。
いや~すごい生活でした。
たかが5年されど5年
結局、もう忙殺しすぎて
結婚やなんやと
そんなことを考える隙間もなく
このままだと絶対に結婚も出産もできんぞ、
と思っていたところに
突然結婚、出産と立て続けに決まって
私は会社を退職したんでした。
もちろん、産休、育休をとる、という選択肢もあったけれど
制作部という部署はもう
「部署」ではなく「一つの会社」みたいなもんで
本当に家族みたいなもんだったこともあって
ここまで大事に大事に
守ってもらって育ててもらって
一緒にやってきた先輩たちに対し
申し訳ない気持ちしかなく
(子どもを産むとなると制作の仕事は絶対無理やから)
「他の部署に異動させてもらいたい」
などとは口が裂けても言えなかったんです。
誰も何も言わないやろうけど
自分がそれは許せなかった。
辞める選択肢しか私にはありませんでしたね。
先輩からすると、
頑張って育ててきたんやから、いったん違う部署に異動しても
制作経験を活かして続けてほしかった
ということだったかもしれませんが
制作はやっぱりちょっと他の部署とは違う特殊な場所だったので
私にはなかなかそうは考えられませんでした。
結果、どうだったかというと
それで正解だったかな~、と、思っています。
後悔はありませんでした。
5年という短い間やったけど
もう何十年も働いたんちゃうかと思うくらいに
全人生をささげて日々を番組制作に費やし
やりきった!
と自分の中では区切りになっていた気がします。
面白いものをどんどん生み出す
たくさんの人たちの中で
自分の才能のなさや
発想力のなさを
いやというほど見せつけられていたというのもあって
この仕事を
楽しんで続けていけない自分の姿も
見えていたこともあります。
好きなところもたくさんあった仕事ですけど
子どもを育てながら
その熱量を保てるとも思えなかったし
この仕事をするなら
結婚や出産と両立は
私には無理だな~ってのもわかってました。
全人生をささげないと、番組制作という仕事は無理なんです。(私は。)
というわけで、5年間の
番組制作人生は終了となりました。
たかが5年、されど5年。
この5年があったからこそ今の自分があり
この5年があったからこそ
どんなことも大変と思わない自分ができたんです。
それくらい、ギリギリ命を削って仕事をした5年間でした。
あれまた振り返りのお話となってしまいました。
誰が面白いんだろう。誰も面白くないよ(笑)。
いつまでも長々とすみません。
自分のために振り返る数日。
そんな私の就職のお話はこれにて終了です。
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