義母が特養に入っています。
何度か入院したり退院したりしています。
寝たきりでもう全然動けないし
呼吸もしんどくて
でも、寝たきりになってしまってから
やっぱりすこし認知もでてきたみたいです。
母より5歳くらい若いので
いろいろ考えることが多いです。
母を思う
85歳で、忘れがちなことは多いとはいえ
自分でどうにかこうにか気をつけながら(メモ努力(笑))
食事もなんとか自分で作っている母。
肺が悪く、呼吸がしんどくて
リハビリもままならない義母。
2人を見ていると
QOL・・quality of life 生活の質
質を保って生活できるのって
あと何年くらいなんやろ?
と思います。
母と義母の違い
たった2例だけなら何の検証にもならんけど
食事はひとつあるかなぁ、と思います。
母は栄養士だったこともあり
父に嫁いだときに
父の家の食事環境を改革した、というのがあって
食事にはずっと気をつけてきた。
というのは大きい気がします。
お寺だった実家では
祖父母はいつも朝は、
ご仏前からさがってきたごはんをおじやにして
簡単なおつけものと食べるような食事。
昼と夜はどんなだったか知りませんが
見ているに祖母は料理も得意でなく
母が嫁いだときは
ほぼ家政婦状態だったと思います。
でも、あまりに野菜をとる機会のない食事をみて
朝はサラダ(手作りドレッシング)
昼はご仏前のごはんを使って
ごはんと簡単なおかず、
夜はしっかりしたおかずを作って
祖父母にも出す・・
私たちが産まれたら
子供用と祖父母用と別に作っていたこともあったり
いま考えると、本当に母は大変だっただろうなぁ
と思います。
祖母の姑いびりも
孫の私からみてもひどかったし
本当に大変だったと思います。
栄養士の資格を活かせる
給食センターの献立立案の仕事の話もあったそうですが
当然姑に止められ( 一一)
でも、だからこそ母は
家族の食事を考えることに
全力を尽くしたのかもしれません。
そのおかげで
肥満直前だった父は
少しずつすっきりと痩せていき
健康診断でもひっかからず
健康になって日々を過ごしました。
病気になったのも
内臓的なものでなく
悪性脳腫瘍。
原因は特段なし、と言われているものでした。
私自身も
朝のサラダが苦痛でしたが(なぜあんなにサラダが嫌いやったんやろう)
そうやって育ってきたので
1人暮らしをして
インスタントラーメンやファーストフードに走りながらも
(実家ではほぼ食べられなかった)
頭のどこかで
野菜食べなくちゃな~、とか思っていたりはしました。
母は今なお
他に趣味がないこともあって
1日数回のラジオ体操と
食事を作る、ということだけは続けています。
もう85歳ともなると
お弁当を頼んでいる方も多いのだとか。
でも、母は、
人に食べさせるのはもういいわ、ということで
(料理好きな人からするとここが珍しい)
子育てのために留守番を手伝ってもらっていたときには
一切うちでは料理しなかったのですけど
自分のためにはすごく料理はします。
それも
身体のことを考えて、お野菜、魚は必ず。
そのほかはごまや海藻類やなんやかんやと
あれこれ健康に気を使った食事をしています。
私が家を出たころから
病気になったら子どもに迷惑がかかる!
と言って、
父と母はずっと食事に気をつけていた気がします。
そして運動
運動という運動はしていませんけど
毎日何回もタイマーセットしての
ラジオから流れてくる音楽に合わせの体操。
これは今も欠かさずやってますし
なにより
ずっとお寺で生活していたので
とにかく動く動く動く、そういう仕事やったし
お寺を出た60台後半からは
毎日長時間散歩もしてました。
そういえば、大阪にきてまだ元気だったころ
(足が動くころ)は
ジムに入って水泳にも通っていたやん!
と思い出しました。
股関節、膝関節はずっと悪かったので
足の筋肉だけは鍛えておかなくては、と思っていたんでしょうね。
足の痛みが強くなり
なかなか外に出られなくなってからは
家のベランダ往復したりとか!(びっくりした。)
できるだけ努力して動くようにしていたように思います。
だから、今、外には出られないけれど
それでもまだ、どうにか歩けているし
なんとか身体ももってるな~
と思います。
いつも腹立つ母ですが
そう、いつも腹立ってしゃーない母ですが
こうやっていろいろ思い出してみると
ああ、けっこう頑張ってんなぁ!
と思います。
とにかく、子どもに迷惑がかからないように・・と
いつもそれを念頭においていたような。
だから、今、私に怒られながら医者通いして
やっぱり申し訳ない気持ちもすごく大きくて
小さくなってるんだろうなぁ、
と思います。
毎回「車代」とお金を渡してきたりして
どんだけ拒否しても絶対に受け取らないですし。
よく考えたら
なかなかそんな高齢親はおらんのかもしれません。
はぁ~
冷静に書くとなんとも自己嫌悪に陥りますけど。
毎回毎回どんだけ説教すんねんってほど説教しまくってますからね。
まぁ高齢になるにつれ
わがままになるのはしゃーないってことか。
これまでのことを考えると、
私ももっと心を広くもたなくちゃなと
思いはするんです、はい、思いはする(笑)。
と、それをふまえると
やっぱり、食事と身体を動かすことと
これが高齢になっても
なんとか健康を保てる秘訣かもしれません。
長生きしなくてもいいけれど
やっぱり生きているうちは
できるだけ健康でいたいし
それこそ子どもに迷惑はかけたくないし
ならばできるだけ自分のことは自分で世話して
生きていたいと思いますよね。
私は母ほどに食事や運動に気を使っていないので
どうなるやろとこわいですけど
でもいまからでも遅くはないはずで
きっとみんなこの歳になって
子育てがひと段落してから
おなじことを思い始めるんでしょうね。
とはいえ、母や義母を見ていると
あと30年もすれば
いや20年もすればもう75歳で
身体はある程度言うことをきかなくなっているし
なんでもできますよ、ってなことは言えなくなってるわけで
ああ~それはほんまに
言うてる間にやってくるやんな?
って思います。
食事も健康も、気をつけながらも
やっぱり人生を楽しんで
残りの日々を過ごしていきたいなと思う次第です。
いまから「残りの日々」て!
とも思うんですが
それくらいに思ってないと
危機感出ないですからね。
やっぱり、なんでも、先のことは先延ばしで
目の前のことをこなすうちに
今日の続きが明日で
明日の続きが明後日で。
そのまま続いていくんじゃないかと
なにごともなく日々が平和に過ぎていくんじゃないかと
そう思ってしまいますからね。
もちろんそういう側面もありつつ
身体は確実に衰えていくわけで
そこはイメージだけじゃどうにもならん部分でもありますからね(笑)!
ほんと、母のことを見ながら
いろいろ思う毎日なのであります。
私はどんな75歳を迎えるんやろう。
そこをいいイメージをもって
日々を過ごすのがよいのかもしれません。
イメージから自動的に
そうなるために今なにをするかを
脳が感じて前に進むのかもしれないですからね。
できればブログは続けていたいですけど(笑)。
どうなることやらです。
そんなことをつらつらと思う夏の終わりでございます。
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