さ~今週は!
1日祝日で休みやったから
火曜やけど月曜みたい
水曜やけど火曜みたい
な週ですよね。
いきなり仕事は忙しい~
いや、忙しいっていうか。
金曜はちょっとしたイベントで
お客さんがたくさん来られますから~。
準備!!
いつまでやるねんこれ私(笑)。
ADがもどってきたみたいな役割よ(笑)。
新聞
いまだに新聞とってます(笑)。
まじ~?
って声が聞こえてきそうやけど。
いや、ずーっと新聞はとっていて
(結婚してからね。)
まぁ私、あまり読まなかったんです。
そもそもゆっくり新聞読んでる時間ないやんか!
から始まるねんけど
経済情勢にもさして興味があるわけでなく
(おとなとしてどうなんだ。)
見るのはテレビ欄とその裏の三面記事ばかりで
夫は意外に新聞読んでたりして
へぇ~何に興味があるんやろ?
って思ったりしてたんです(聞けよ)。
しかし、夫婦ともにだいぶ多忙になり
子育ても佳境に入ってくると
新聞を開かずに平積みされる日々が増えて来て
さすがにそろそろやめるか?
もうこれ、お金もったいなくね?
ってなってきたところで
父が亡くなり
母がこちらにやってきて
子どもをみてくれるようになり
すると、母は新聞を読むので
うちでとってる新聞を
けっこう熟読しはじめ
ああ、それはそれでええか、
と思ってそのままとりつづけるっていう。
今も、母には
1週間まとめてやけど
新聞持っていってます。
(まとめてもっていくと絶対読んでないと思うが)
でもねあるとき
そう、ただね
両学長のyoutubeライブを聴くようになったころかな。
両学長がおっしゃってたんですよ。
株を買いだすと
やっぱり経済に興味は出るし
知っておいたほうがよい世の中の動きってある。
新聞を読んでおくことも大事やけど
新聞なんてすみからすみまで読んだら
時間もかかるし読んでるひとがどんだけおるか・・
新聞はまず
見出しをさらっと見ていくだけでも
世の中の流れってわかる。
へぇ~こういう感じなんだ、いま
ってことがわかる。
で、その中で
自分がふと興味をもった見出しがあったら
本文を読んだらいいんだよ。
ってね。
はぁなるほど!
って思いました。
その日から、
それまで1ぺージも開かずに
積むことも多かった新聞を
朝、さらっと開くようになりました。
ほんまに見出しだけ
さっと見ていくだけやから
なんなら5分もかからんくらい(笑)。
ほんまに忙しいときは
見出しみてても違うこと考えてたりするけど(笑)。
それでも
「開く」
ってことが習慣化したら
なんとなく新聞を開かないと気が済まなくなるっていう。
でもやっぱりおもしろいもんで
いま、世界の情勢はこんな感じなんだな~
とか、
日本の政治はこういう方向に向かおうとしてるねんな~
とか、
ふと自分が感じたのと同じような疑問を提起しているひとがいたりとか。
知らぬ間に
そういうことが増えました。
会社に行っても
「今日の新聞にも載ってたけど~」
とか言ってる自分がいたりして
へぇ!私こんなこと言ったことなかったけどな
って自分でびっくりしたりね(笑)。
テレビもあるしネットもある。
でもね、やっぱり
新聞のすごさって
あるな~
って思います。
もちろん、あまり深堀りできないタイプやから
むっちゃ浅い見解ですけど(笑)。
テレビはすぐに流れていくし
とにかくすごく忙しい現場で作られているので
考察の時間が少ないし
記者の価値観によって
同じニュースもめちゃくちゃ変わる。
そりゃもちろん新聞も同じでしょうけど
ただ、今、テレビの報道現場の記者の質はめっちゃ落ちてる。
(東海テレビ放送作「さよならテレビ」参照のこと!)
だから、
テレビのニュースは
いまいち信じがたかったりするものも多いし
なんせ決められた枠内のみとなるので
むちゃくちゃ取捨選択されてる。
メディアリテラシーむっちゃ大事な時代だなとも思います。
で、ネットニュースはもう
みなさんご存知のとおりで
イスラエルとイランの問題から
田中圭の不倫問題まで
並列で表示されてるやんか。
どういうこと。
ほんで、個人が興味をもっている記事が
どんどん流れてきたりもする。
それでやっぱり
情報過多でもあるから
むちゃくちゃ情報が偏るっていう。ね。
それを考えると
新聞は
そこそこの量の情報が
そのページ数の分だけつまっていて
それでいて一覧性がある。
これが一番強いな~!
って思います。
紙媒体の一覧性って
仕事の上でもそうやねんけど
ほんまに強い。
なんぼデータデータ、ペーパーレスといっても
ほんと、この「一覧性」を実現できる手法は他にないねんな~。
新聞の電子版でもこれは無理やんか。
パッとみて見出しとみるだけで
どんな話題があって!
その面積の大きさで重要度もわかって!
その調整が秀逸。
じっくり読まなくても
それこそタイトルをさっと見ていくだけで
なんとなく情報が把握できるっていうそれ。
電子版やスマホで
小さい画面で見るよりもはるかに速く
膨大な情報が脳にインプットされるんですよね。
いやほんと、
考察が浅くて申し訳ないけど
新聞から得てるものって
思いのほか大きいな~
って最近思うことが増えました。
そして先日は!
そして先日。
谷川俊太郎さんの記事が出てるな~
ってふと見てて
好きやったから、興味あって
ちょっと読んでみようかな
と読み始めてびっくり!!!
父を看取ってもらったホスピスの先生が
書いてはった記事やんか!!!!
この先生、
私の田舎のほうで
もともとはお医者さんやって
ホスピスを作られた先生なのですけど
本を何冊も出されていて
あちこちで講演もされてたんですけど
普通のお医者さんとは違うんですよ。
いや、そもそも普通ってなんだ、って話ですけど(笑)。
前にも書いたかもですけど
高校の時に講演に来てくださって
その話に衝撃受けたんです。
田舎の進学校に通っていた私は
親から勉強しろと言われ
先生からも勉強しろと言われ
まぁみんな同じようにレールにのって勉学に励んでいたわけですが
その先生の講演で
「死ぬ」ことを前に
人間には優劣もなければ
勝ち負けも正解も不正解もない。
「立派」なひとも
「そうでない」ひともなく
ただ、自然体の人間がそこにいて
死に向かう姿がある。
そんな話を聞いて
私たちがこれまで教えこまれしみついてきた
この価値観はなんなんだろう?
って思ったんです。
「人は、どんな過程であったとしても、死に向かう存在は立派である。」
っていうそういうこと。
そこで、その日暮らしをしてきた
ポルノ映画館の呼び込みのおばちゃんの話や
家族と疎遠になって孤独になったおじいちゃんが
家族と仲直りをすることもなく旅立つ話や
いろんな話をきいて
「美しい話ばかりではないこの現実」
があるけれど
人生ってそういうものであり
それでいいんだし
いろんなことを
受容してもいいししなくてもいい。
ただ、死の前に立つ人間は
等しく立派である。
っていう、そういうこと。
そんな言葉を聞いて
いままでにない価値観に衝撃を受けて
私が死ぬときこの先生に看取ってもらいたい
とそんなふうに思って
父が脳腫瘍になってあと1年となったとき
この先生に手紙を書いて
この先生のホスピスに入れてもらったっていう経緯があります。
19床しかないのに。
絶対受け入れてくれると思ったけど
やっぱりその通りやって。
で、父はそこで数カ月。
本当によい時間を過ごせました。
こんなホスピスがあるんだ、っていう、ね。
その後も、先生が京都で講演をするっていう情報を得れば
京都まで行って講演を聴いて
また気持ちが動いたり。
本を出版されたら買って。
そんな先生ももう77歳。
その先生は、谷川俊太郎が大好きだったし
親交があったので
ホスピスにも谷川俊太郎の言葉がつづられていたような。
そんなご縁で
先生が、谷川俊太郎さんについて
取材を受けてお話されていた
っていう記事でした。
いや~でも思いがけず
久しぶりに先生のお写真を拝見し
ああ~先生!
お元気でいまも!
そしてその記事の言葉もとっても素敵で。
「『いのちはいのちをいけにえとしてひかりかがやく』
(谷川俊太郎)
・・・谷川さんは、生と死をわけないんです。
死を食べていく命を肯定している。
詩のベースに、いつも死がある。
生きることを書いた詩、恋の詩からも
死のにおいがする。」
(朝日新聞より)
なんてことも書かれていて
谷川さんも深いけど
先生も深いやんか(笑)。
私なんかが語るのもどうかやけど
いつも、先生の言葉を聞くと
死のまえでは
ここにいる全員が平等なんだな~
って不思議な気持ちになるんです。
私のまわりにいるひとたちは
とっても小さい人たちを除いて(笑)
100年後は誰もいない。
でもそれは
こわいことでもなければ
必要以上に尊重されることでもないんだな
って
そんなことをまた思い出したひとときでした。
てか、やっぱり新聞ってすごいです。
こういうミラクルに突然出会えるすごさよ。
だから新聞ってやめられない。
そういえば、応援してる村本さんの記事に
思いがけず出会ったこともあったっけな。
そんな新聞のすごさよ。
これからもまた
どんな出会いがあるのか
楽しみにしているワタシです。
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