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ひとは変わらない

ひとは変わらない 仕事

仕事って難しいです。

先日は、他部署の偉い方から呼び出され
とある業務の内容について
少々お願いというかクレームというか
そういうものがありました( 一一)

いや、でも、うちは
それ、業務としてはやってなくて
なんやったらサービスでたまにやっている

みたいなことがあるんですが
それがちょっと遅いっていう。

仕事っていつもそう

なんかこれ永遠にやってます。

自分の業務をきっちりやる。
それは当然。
でも、その中で、あれ、おかしいぞ
って気づいたことは
親切で伝える。
すると、「ありがとう~!助かった~!!」
ってなる。

それはすごい大事で
「自分の仕事の範疇はここまで」
ってしない、
自分の仕事の範疇を超えても
仕事の最終目的を考えると
ここも見ておいたほうがいい
違う部署の仕事でも
気づいたら伝えておいたほうがいい
それはすごく大事で
私もできるだけそうしてきたつもりだし
若い子たちにもそれは伝えてきたつもり。

そして、そういう仕事の仕方をしていると
めちゃくちゃ感謝されたりもする。
でもだ。
でも。
それが何度も重なると
良かれと思って自分の仕事の範疇を超えてやっていても
それが「当たり前」になるっていうソレ!

もうそれがめちゃくちゃ多いんです。

で、「あれ、今回遅かった」とか
「あれ、なんでやってもらえてなかった?」
とか言われるっていう( 一一)
あれ?知ってました?
それする部署ちゃいますねん。
たまたまわかったから伝えただけで
毎回全部わかれとかやれとか
そういうこと言われるのはおかしいねん。

・・・結局そうなる。

だから、私も、年長者としては
「仕事はとにかく損得考えずに
自分のできることをやる。
ここまでと決めてしまうのでなく
目的をいつも明確にして

その目的のためによりよい結果になることはやる」
って年下の子たちに言ってるんですが
結局そういう結果になることもあって
「それを当然と受け取られてますけど・・」
「ほんとはこれ業務ちゃいますけど・・」
ってなるっていう( 一一)

良かれと思ってやることが
悪循環となってしまう事実よ( 一一)
本当に悩ましい。

そのたびに、私も改めて相手方に
「いやそもそも~」
って説明をするわけなんですが
まじ、多い。

今回の偉いさんの相談もそうでした・・・チーン。

でもやっぱり、
いろんな物事をきちんと俯瞰で見られている方は
そのあたりのことがある程度はわかっているから
「これは要望すべきことじゃなと重々承知なんですが」
と前置きして話してくださる。
これだけでもだいぶ違います( 一一)

とはいえ。
とはいえ、それをふまえた上でも

ある程度の要望があるということで。
いやそれ無理ちゃうかな、と思いながら
まずは持ち帰り、現場に話を聞きました。

結局ひとの問題

いろいろ聞くと、
こちらはこちらで
最大限の努力をしている部分であり
要望としては受け入れられないよね?
という結論に達し
私としても聞いている限り
これ以上努力できる余地なし、
反対に言うと
現場は最大の努力をして作業している
ということもわかりまして。

そりゃもう
とてもじゃないが無理ってことを先方に言うわ
となったのですが
よくよく聞いてみると
たまたま最近、その部署の1人と
クレーム?入れてきた部署の1人とか
少々衝突したようでして。
売り言葉に買い言葉とはまさにこのこと。

あ、そゆこと!!

一瞬にして理解しました。
これまでずっと別にクレームも苦情もなかったのに
突然なぜこれを言われるのか。
つまり、衝突したそのひとが
上司(えらいさん)に訴えた・・!
そしてその上司が私のところに連絡してきた・・・!
そういうわけですね。
だからいま、そういう話になるねんなと。

そして、いったん話を整理して
再度その、他部署のえらいさんに連絡し
こちらの事情と
最近の出来事も含めて話しました。

その方は、とにかくいつも冷静沈着。
私の早口の説明にもしっかりついてきてくださり
ふんふんなるほど、と聞いてくださいました。

そして、
「なるほど。よくわかりました。
そういうことだったんですね。
ひとの問題か・・」
とひとこと。
いや、もうそうです、その通り。
感覚が同じ方でよかった・・!

これ、わかる方とわからん方がいると思ってます。
たまたま、私の感覚に近い方だったから
私の話をわかってもらえたと
そういうことだと思います。

それもそのはず、そのえらいさんは
時々、私の下の子と一緒に食事に誘ってくださり
なんどか3人でお食事したことがあったんです。
そこでいろんな話をして
それなりに、近い存在になっていた・・。
だからこそ、なにかあったときに
言いにくいし、
だからこそ言いやすいともいえる。
でも、やっぱり結局は
「言いやすい」んです。
だって、こちらの言うことの奥に隠れる
非言語の部分までわかってもらえるから。

ああ~ほんと、
もめたのも「ひと」だけど
こうやってわかりあえるのも「ひと」だなと
もう痛感しましたよ。

関係性ができているかどうかで
こういうときに物事がちゃんとおさまるかおさまらないかが出る。

やっぱり、ひと、との関係が
一番大事やなってね。

ただし。

本当にありがたかったんですが
ただし、問題は
問題を起こしたひとたちのこと。

この話のあと、またこのひとたちは
接触しておりまして
また、なんだかわけのわからんやりとりをしていたそうです。
さすがにケンカにはなってないけど
どうにかこうにかこっちはおさめてるんやから
もうこれ以上、かきまわさんといてくれ・・・!!!!

うちの子もそちらの部下も
まじでやめて・・・!!
と思いました。

いや結局
「あのひとのことだから」
「どうせ嫌味な言い方をしたんでしょうね」
「売り言葉に買い言葉だったんでしょうね」
みたいな話をえらいさんとはしてたんですが
我々がそれを理解したからこそおさまったのに
問題となった人たちは永遠にぶつかり続けるっていう。

何度話しても、そのときは分かったように見えても
同じことの繰り返し。
絶対わかってないよ~・・・・!!
っていう。

結局のところ、
ひとって変わらんのだな、
と思います。

いやもうそれに尽きる。
会社でも
「あのひと、変わったよね」(しっかりしたよね)
みたいなことはたまにあるんですが
「いやもう、どんだけこっちが努力しても
一生変わらんよね」
というひとのほうが圧倒的に多い。
しかも40代50代の
年齢いってるひとたちがほとんどそう・・・!
もう確立してるんだろうな~自分を。
それなりにプライドもあり
自分の正義というものもあり
だからこそいろいろ言われて
頭ではわかる部分があっても

変われないのかもしれません。

人は、変わりたいと思っている以上に
変わりたくないと思っている。

こう言われますけど
これは真実だな~
と思うこと、多いです。
自分も含めてね。
他人のことは見えるのに
自分は見えてなかったりしますしね。
年齢重ねると、やっかいなこと、多くなります。
まじで自分も含めて。

結局、あれこれ話しあった時間はなんだったんだと
無力感に襲われましたが
それでも、仕事的には前進していると信じたい( 一一)
「ひと 変わらない」
とか検索してしまう私なのでありました(笑)
つかれてんな、ほんま。

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