こんなに忙しいのに
なんでブログ書いてんねん( 一一)
いつ書くねん( 一一)
でもやっぱり
これがメンタル安定の源なんであります。
別に大したことも書いてないけど
こうやってなんだか文字にしていくことって
私にとってはめっちゃ大事。
これ読んでも
誰かの役に立ってるわけでもなんでもないですけど(笑)。
でも、どなたかが
楽しみにしてくれているなら
それはそれでうれしい(もう、その時点でトモダチ(笑))。
といってもね~
そう。
といっても、ブログ書いてもう長くなりますけど
コメント自由に入れてもらっていたときには
批判的なコメントがきたこともあります。
あるあるそりゃ。
こんないいかげんな私
許せんわ!
いいかげんすぎるやろ!
って思うひとももちろんいてはる。
とくに子育て中はね。
子どもに
こうあってほしい!
こうあるべき!
私が受けてきたような教育を!
きちんとした大人になるように!
(きちんとしてないけど(笑))
・・って
自分で認識はしてなかったけど
けっこう強くそう思ってたんだなって
あとで知りましたけど。
ともかく、そんな風に思っていたので
とにかく、
自分の思い通りにいかない子どもに
どうしたらいいのか・・
絶望・・
お母さんの愛情が足りないとか
小学校の先生に言われたりもして
学校で「見て見て」っていうのが強いから
お母さんが見てあげてないんじゃないかとか
まぁね~
ほんといろいろ言われたし
自分でもいろいろ思うし
なんでこんなことになるねん!!?
私のどこがどう悪かったんだろう?
って
あほみたいに本も読んだし
落ち込んだし
ずっとそのこと考えてるし
ほんと、しんどい時期がけっこうありましてね。
そんなときもブログ書いてたな~
って思います。
きっとそんなマイナス感情はあんまり書いてないかもだけど。
子どものそのアホみたいな行動を
たぶんネタにしてたんちゃうかな。
そのころからこの習慣はあったのかも(笑)。
ネタにせなやっとれんし(笑)。
でも、そこで少し気持ちを解放させてたのかもしれません。
そして、こうあるべきと思っている自分の中にも
もしかしたら
「別の側面からみると
おもろい行動する子やな」
って心のどこかで思っていたのかも。
でも、そんな子どもの様子に対し
やっぱり、いろいろ思うひとはいらっしゃって
コメントくださる方もいらっしゃったような。
まぁ基本スルーしてましたけど
でもやっぱ、嫌な気持ちにはなりますよね。
そんな記憶はあります。
子どもを手放したら手放したで
そんないろいろがあって
あるときに
そうだ、私は
自分の思い通りにいく子どもを求めていて
それはそれでおかしくないかい?
子どもは自分とは別人格であって
子どもの思うように生きるべきなんじゃないかい?
だって彼の人生なんだし。
(まぁ悩みの90%はムスメでなくムスコやったのでね(笑))
そしてそれは
私の「常識」からみるとありえないような人生であっても
彼が思うように自分で歩いていっているなら
それでいいんじゃないのかい?
「子どもを信じる」って
「最終、自分の思う方向にいくように信じる」んじゃなくて
「母からみると信じられない方向にいったとしても
彼にとって自分の足で歩いていると思える方向にいくと信じる」
ことなんじゃないのかな?
って気づいてね。
この気づきは大きかったですねほんと。
子どもが歩いていく道は
正解かどうかなんて誰にもわからないし。
私にとって不正解と思っても子どもには正解、ももちろんあるし
反対もあるし
そもそも正解があるのかもあやしい。
でも、子どもが、なにかちがったなと思えば
そこからやりなおせばいいのだし
その力も子どもにはきっとあるのだから
そこも含めてまるごと、彼らを信頼すればいいんだなって
そんな気づきは
私には大きかったんですよね。
もちろん、こんなこと
当然にわかっていて、
当然に感じられている親御さんもたくさんいらっしゃるわけですが
私はほんと未熟でね・・
自分の育ってきた環境しか知らないし
なんなら親のレールにのって生きてきて
それが正解だったなと思っていたクチでしたから余計に。
ほんと、親って
ずっと学びだし
知らない自分にいっぱい出会う旅だったなって
もちろんいまもですけど。
そんなこと思います。
そんなこともブログで
あれこれつづってきたわけですが
今度は、それはそれで
子どもに対し、放置しすぎとか
結局自分が楽なほうを選んでるだけよねとか
まぁそんなこともコメントがきたりするっていう。
ま、比較的、私のブログは
そういう批判はめちゃくちゃ少ないほうだったとは思いますけど
少ないからこそ、うう・・って響くってのはありましたね~。
いまだから言いますけど。
てか、いちいち反応すると
そういうアンチコメントする方の思うツボやからね( 一一)
でもやっぱり
SNSで批判されて
自死するほど追い詰められてる方おられますけど
その気持ちすこしわかる気はしてます。
スルーすればいい、と思うし
スルーすればいい、と私も言いますけど
それができりゃ苦労しないですよね。
心ない言葉はやっぱり誰だっていやですからねそりゃ。
ただ、思うのは
ほんと、アンチコメントするひとって
不幸な人しかしないんで。
それだけは絶対の事実としてあって。
幸せなひとは人を責めない。
これは永遠の真実やなと思います。
だからいまは
(まぁいまアンチコメントなどこないですけど(笑))
ああ~気の毒
しか思わないんですが
でも、ちまたの
Xだとかネット記事だとか
そのあたりのアンチコメントみると
不幸なひとたちがここには多いな、
って思ったりはします。
ソッコー、離れますけどね。
いや~自分のまわりに伝染したらいややもんね。
ま、でも、いろいろ言いたい人はいるんだな~
という驚きです。
ほんと、悪いことは文句言うけど
ええことはなかなか言わないっていう。
ま、これは、会社でもどこでもそうですけどね。
文句言う人って必ずいて、
文句言う人は、よかったことは基本言わない(笑)。
あれ、何の話やねん。
またも、何を書きたいやらわからんようになるっていう
いつものブログの様相となってきました(笑)。
でもやっぱりブログ
そんなこんなで
私のブログ歴はもう相当長くなりまして
アンチコメントがあった時期もあったりしつつも
(いや、20年とかやってて数件ですけど(笑)
とりあげるほどでもない(笑))
自分を見つめながら生きてこられたのは
やっぱり
こうやって文章にできてたからちゃうかな
と思ってます。
そう思うとね
みんな全員、いろんな人生があるわけで
みんなのこういう人生を読みたいし知りたいな~
っていっつも思ってます。
まーじで全員ブログ始めてほしい(笑)。
全部読めんかもだけど。
でも、ひとの数だけドラマがある、はほんと。
事実は小説よりも奇なり、もほんと。
ドラマになるほど大きなできごとは書かんけどね(笑)。
でも、日々の心の動きこそが
自分の人生だったりするな~
って思うんですよね。
だってきっと
余命1週間って突然言われたらどうするか?
会いたいひとにあって
行きたいところにいくはあるかもだけど
やっぱり
普段の
いつもの毎日を
過ごしたいな~
って思うんじゃないかなって。
普段歩いてるあの道を歩いて
普段会ってるひとたちに会って
なんでもない会話を交わして。
遠くにいるこどもたちには
なんでもないLINEをしたりして。
かなり前の話になるけれど
同じ会社の同僚が病気で亡くなられたことがありましてね。
まだ30代だったんじゃないかなと思うんやけど。
「最後に会いに来てやってください」
ってご家族に言われて
会いにいったとき
もう口で会話はできなくて
ホワイトボードに筆談だったんですが
「会社に行って、みんなと仕事がしたいです。」
って最後に書かれましてね。
長く入院して
手術もして
命がつきようとしているそのときに
「歩きたい」でも
「食べたい」でも
「どこかに行きたい」でも
「誰かに会いたい」でもなく
「会社に行ってみんなと仕事したい」んだって
もちろん皆がそうというわけではないんですが
そこまで仕事人間でもなかった彼が
そう思うんだなってことに
「日常」の重みをすごく感じました。
そういうことなんだろうな。
きっと、私は
ずっとこうやってライフワークとして
(毎日じゃなくとも(笑))
なにか書き続けていくんだろうなって
なんでもないことを
たいしたことなんもないことを
半径5メートル以内のことを
書きたいんだろうな~
と思います。
まぁ~
ワードプレスでやってるだけに
死んだら
解約するやろうから
このブログは消滅しますけどね!(笑)
それはもう
私の心の中に持って
天国に参りますよ。ハイ。(天国いけるんかね。)
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